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【画廊探訪 No.031】面に打たれる人の肌 ――七人展新井達矢出品に寄せて――

面に打たれる人の肌
―――七人展 仏教美術 木彫 能面 神楽面
             新井達矢出品に寄せて―――
   襾漫 敏彦
 古代、武蔵の国というのは、もっと海が内陸までせまり、その中心というのは、現在より山の方に寄っていた。府中、国分寺と考える時、いわゆる多摩の地域というのは、今日、想うより重要な場所で、海や山から、人や物が集まってきていたのであろう。
 新井達矢氏は、若き面打ち師である。仔細は知らぬが伝え聞くに十代の前からこの世界にはいったらしい。最近の世相では、このような例(ためし)を天才というようであるが、人材をこのように天が配するとするならば、運命とでもするほうが妥当であろう。私が引き寄せられるように、この会場に来たというのも、運命を縒り合わせる細いひとつの糸かもしれない。そして、今回出品された数枚の女面の前にいた。一人の面打の手になる面を連作の如く見ることで、「面」というものに、初めて対峙したように思う。

 「能面」というのは、舞台以外にも、本の表紙や映像など、様々な所で用いられる不思議な意匠である。その存在そのものが、既に多くを語るため、どの面も同じ一つの「能面」としてとらえていた。では、美術作品としてみるべきか、能の道具としてみるべきか、能楽そのものに触れぬ者には難しい。しかし、今、並べてみた時、表情をおさえた「能面」のそれぞれの個性が伝わる。鼻の形、幅や高さ、彎曲が、そして、額、唇の上と下とのかみあわせが、「面」を支える有り様を打ち出している。そして、胡粉の施された表面を間近にした時、生きた肌のもつ、ぬくもりのようなものを感じた。血が流れている限り支えられる生そのもののぎりぎりの表情を新井達矢氏は、見事に打ち出しているようである。
 
 山の木を伐ち、形を薄く整え、多摩の川の流れ着く海よりもたらされた貝の粉を表に沈みこめる。多くの人の手と、多くの土地からもたらされた物が、この「面」の生をつくりあげる。そのように悠久のいにしえよりこの大地に流れついた人と営みがもたらした文化の紐が、縒り集められ、一つの結び目として能があらわれたのであろう。結び目は、多摩の山中に伝えられた生をつなぐため、新井達矢という若木を、人知れず育て始めているのであろう。


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この方は、文句なしにすごいと思いました。将来、人間国宝になることは間違いないかと思います。

能面とは全く関係ない家の子どもが、面に魅入られて、八歳のときから、面打ちの師匠に弟子入りしたそうです。

新井さんの東京都の広報コンクールに入選した画像を添付しておきます


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