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【画廊探訪 No.116】震える生命は、「私」をとどめながら、太古の海に漂う ―――ギャラリー檜『それから、展』桑原祐実子出展作品に寄せて―――

震える生命は、「私」をとどめながら、太古の海に漂う
―――ギャラリー檜『それから、展』桑原祐実子出展作品に寄せて―――
襾漫敏彦
 原始の海の中、生命の誕生がはじまる。外と内を隔てたシャボンのような「球」がうまれる。原初生命の球は、ふるえるように形をかえながら、太古の海を漂う。

 桑原佑実子氏はリトグラフの作家である。リトグラフは、版画の一種であり、元来は水を弾き油に溶ける性質をもつクレヨンや鉛筆で、石版に下絵を描く。それをゴムの溶液を利用して下絵を固定し、インクが残る油となじむ部分と、油をはじく部分をわけて、版をつくるのである。現在は、石版でなくアルミ板を使うが、版画でありながら、筆のタッチが直截に残る方法にひかれたのであろうか。

 彼女は、安定しない球である楕円形のフレームを画面の中に配置して、構図をかまえる。フレームの中に、レンズで映しこんだ光を電子計算機で調節して自分になじむように加工した映像を移していく。

 作家のテーマである光のフレームは、レンズのようでもあり、単細胞生物の膜のようでもあり、閉ざされた空間にあけられた窓のようでもある。光の曲率のかわる「私」の内部。電波障害のようなかすれた色調の全体の中に置かれたフレームとは、歪んだレンズであり、とりこまれた内部の姿は、変化させた見方である。外の世界に対する本能的な怖れこそが、レンズを歪めるのである。

 生物の細胞膜は、水を弾く表と親水的な裏をもつシートを重ね合わせた二重構造でできている。そのため外のものは、工夫しなければとりいれられないのである。「私」が溶かされて、「私」を捨てないで済むための知恵であろうし、それ故にこそ、生命はあるのかもしれない。


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