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【画廊探訪 No.035】色も、音も、形も散る。私は現れる―――竹渕愛留萌個展 に寄せて―――

色も、音も、形も散る。私は現れる
―――竹渕愛留萌個展『晦冥に溺れる』(Gallery Face to Face) に寄せて―――
                            襾漫敏彦
 足元を支えている何かを失ったとき、自分への信頼が揺さぶられる。覚束なさに息苦しく、手を伸ばして、何かにすがろうとする。けれども、そこには光はない。自分の姿は、自分の中にしか現われない。その覚悟が生まれたとき、涯てなく見える暗がりは、一つの私で照らされる。

 竹渕愛瑠萌氏はメゾチントの手法を使う銅版画家である。ロッカーで銅板を毛羽立たせ、インクを施す。ロッカーの線の強弱、色の濃淡のアクセント、彼女は、基本から逸れていく。それは技巧というより、気持ちに従って現われたもの。雑音(ノイズ)と彼女が呼ぶそれは、自分自身を表現しようとして、生じる不協和音なのであろう。

 個展のタイトルに「晦冥」とある。これは、始まりの光が生まれる前の暗がりではないだろう。灯のように輝く粒子が、現われては、吹き消える時、もしくは、太陽を失った世界で曙光を持つ心持ち。
 大切なものを、両の手でつつみこむことができなかった私の哀しみ。そのかぼそい声は聞き取れない。けれども無明の中で、連なり環る(つらなりめぐる)。「守り切れない」。小さな玉をつつみこもうとする匂玉、古代から続く意匠に託される想いは、闇の粒子の透明な隙間を、陰翳として連環する。

 ぼんやりとして、心許ない空間に現れる薄く、微かな形象。あることは信じているものの、捕らえようとすると消えかねないもの。己が、ひきちぎられ、散って消えんとする前に、彼女は光も音も形も失った世界の中で、何かの形に手を伸ばす。全ての中での一つの動き、それが答えなのかもしれない。

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新しい感性の新人です。







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