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ほんのしょうかい:杉本仁『柳田国男と学校教育』〈『思想の科学研究会 年報 PUBLIKO』より〉

 柳田国男が、語られるとき、日本における民俗学を創始した人として取りあげられ、その枠組みで分析されることが多い。
 鶴見太郎著『柳田国男』(ミネルバ書房)で、柳田は、日本の言論・思想界が西洋から輸入された哲学に席巻される前の人だと指摘している。学問や大学、学界というものの枠組みが、未だぼんやりとしていた頃に、知性を育ててきた人だということであろう。
 けれども、柳田と彼の求めた民俗学を考えるとき、我々は、今日的な民俗学のレンズを通してしかみてないような気がしている。柳田の精神の本質と今日の民俗学の隙間は、立ち止まって考えるべきテーマであるのではないだろうか。

 杉本仁『柳田国男と学校教育』は、この暗がりに光を導く一冊である。この本は、敗戦後、柳田が取り組もうとした学校教育とその挫折、そして柳田以降の民俗学の継承を、在野での取り組みに焦点を当てて描いている。
農政官僚であった柳田は、経済政策における自由放任主義や都市に力点がおかれた近代化、工業化や貨幣経済の進展が、弱者の切り捨てや農村社会の衰退につながると考えていた。そのため、人々の自治の結びつきのために産業組合制度に期待し、その普及に努力するも、それは政府への依存を逆説的に導くことになった。
 国家の介入が、人々の自治の心の衰退を招くと考えた柳田は、農村における共同管理に自治の可能性を見出し、それを支えるものとしての民間における伝承に着目したのであった。
そのような柳田にとって、敗戦後の新憲法のもとで、初等教育の改革は自主的に物事を考える国民の涵養のためにも大切な問題であった。自分の場所から物事を考えることを学んでいく教育を実現することは、彼の精神にとっても必要欠くべからずことであった。
 けれども、知識を詰め込むことを目的とする系統学習の流れが政策の主流となり、彼の教育改革への取り組みは頓挫していくことになる。そして、民俗学も、大学を中心とした学問の枠組みの中に組み込まれていく。
この時の教育改革の選択は、今日の日本の様々な混乱にも影響を及ぼしているといっても過言ではないようにも想われる。
 後半では、民間に足場を置いた民俗学への努力、常民大学や西郊民俗談話会、後藤総一郎を初めとするその継承をまとめている。この点において、思想の科学研究会とも深く関わっていたことが示唆されている。
学問以前に物事はある。そして生き方を選び取る生活、人生がある。哲学はイデアや客観的な真理を求めるものであるという側面と、いかに生きるべきかを考えるという主観的な吟味の側面がある。産業の育成を求めた日本の近代化において、哲学の後者の側面は置き去りにされたように思われる。そこに柳田が格闘せざるを得ない理由があったのかもしれない。
 この本は、柳田の挫折の書かもしれない、けれども、人々、ひとりひとりにかけた柳田のその精神の気高さは、今日の学としての民俗学のはるか先を望み、多くの人の道標にもなっていると信じたい。(本間)

<<information>>
 2023年度の思想の科学研究会の公開シンポジウムで、この本の作者の杉本さんをお呼びしてお話を聞く予定です。
 一般の方のZOOM視聴に関しての問い合わせは、WEBSITEから受付を開始する予定です。(今週末、22日開始予定)


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