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ほんのしょうかい:勝井三雄『曜変天目 あるいは 心』〈『思想の科学研究会 年報 PUBLIKO』より〉

 戦後から70年、高度経済成長というものは、どのような時の幅であったのか、
 それは、個人を発見していく過程であり、社会を発見していく過程であり、自然を発見していく過程であったように思う。
勝井三雄氏は、満州事変の1931年に生を受け、戦後、デザインの世界を駆け抜けた。
この『曜変天目 あるいは 心』は、その中で生き抜いた一人のアルチザンの自伝でもあり、歴史の表現でもある。
デザインというのは、今までなかったところに新しい世界を展開するという方向性があるようだが、建築や構成を含みこむものとして、当時においては極めて新しい概念でもあった。敗戦後の焼け跡、多くのものを失った日本で、まさに空白の中で未来を描く、そんな時代でもあったかもしれない。
復興や成長と共に彼の活動は展開していく。1964年の東京オリンピックでは勝見勝のもと多くのデザイナーが集まり、空き地の地面に集まっては絵を描くように、みんなの夢をデザインしていた。多くのポスターや雑誌の表紙のデザイン、国立民族学博物館をはじめとしてシンボルマークをデザインする。その人生において、多くのものから学び、人と出会い、表現の工夫を続ける。この本の中で、博覧会のパビリオンのように、彼は多くのことを語り続けていく。
時代と共に、大きく役割を広げていったデザインの領域も、システマティックになり、役割が少しづつ固定化されていく。既にして、今回の東京オリンピックでは広告代理店の指示のもと役割が割り振られ、気がつくと誰が誰のために未来を描こうとしているのかよくわからなくなっている。デザインそのものが、別のシステムのパーツとなっていく。
もはや、この国では、「個」を支える誠実さというのは死語になっているのかもしれない。そして、デザイナーが担ってきた分野が、別の仕組みに変わっている。
この本を読み進めていくうちに、閉館寸前の展示会場のような寂しさがどこか漂っていた。勝井三雄にとっても大きな夢が、少しづつ萎んでゆくようにも見えたかもしれない。
戦後から70年、高度経済成長というものがどのような時の幅であったのか、それは、自然を忘れていく過程であり、社会を忘れていく過程であり、個人も見失う過程であったかもしれない。
勝井氏にとって、『曜変天目 あるいは 心』、この本は遺作である。彼は、後世に遺すように「デザインは、「個」から出発して「個」に帰るものなのだ」と力説している。
天目茶碗とはごく稀に生じた星のような斑紋をもつ黒釉茶碗ののことであるが、偶然の中で奇跡のように生まれる輝きに「個」の煌めきを重ねたのかもしれない。
彼は、人生の最後の時を迎えるにあたり、時代を駆け抜けた自分を、表現することで、絶望的な未来に向けて最後のデザインをしたようにも思う。

(襾漫敏彦)

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