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遠藤周作著、写真:稲井勲「年々歳々」を読んで

最近読んだ本の中に印象的な文章を見つけた。

遠藤周作著、写真:稲井勲「年々歳々」(PHP研究所 1999)
本書は遠藤周作(敬略称)の60代~70代(1996年、73歳没)の姿を撮影したモノクロ写真と遠藤周作の様々なエッセイの言葉で構成された1冊。

遠藤周作の様々な表情をとらえたモノクロ写真も魅力的。
そして名言が多数ある中で、特に感銘を受けたのが以下の2つ。
くだけた言葉だと「グッときた」2つ。

(P12)
ある年齢を過ぎても権力や地位の獲得に
夢中になれる人はよほどの無神経か、人生によほどの
自信がないかの、いずれかだと私は思っている。

-『心の航海図』(出展:文藝春秋刊) 

皮肉まじりの実に深い言葉だ。
こういう人はこの言葉を読んでも自分のこととは思わないだろうなと思ってしまう。
政治家や元政治家をはじめ日本社会にどれくらいの該当者がいることか。

(P28)
年とったことの功徳はいくつもある。
(一)たいていのことを許せるようになる。
自分も長い過去でおなじ愚行や過ちを数多く重ねているので、他人が同じことを犯しても「やはり」という気持ちがどこかに起きるのだ。俺も昔は同じだったんだからという思いで相手を批判したり非難できなくなる。

もっとも礼儀上、怒った顔はするが、それは本気ではない。
(二)生きることで本当に価値のあるものとむなしいものとの区別がおのずとできてくる。
若い頃や壮年の頃にはどうしても目先に眼がくらみ、おのれの出世、生活に役だつものに心奪われがちなのは当然だが、次々と友人、知人たちがこの世を去り、生きることのはかなさを身にしみて感じだすと、表面的な華やかさでなくて、本当に自分に大事だったことが何だったかが察知されるようになる。
~(略)~-『心の砂時計』(出典:文藝春秋刊)

この心境は冒頭の言葉通り、60歳過ぎくらいにならないと感じるのは難しいだろう。
私は正に60歳を過ぎたシニア世代なので、(一)(二)とも深く共感する。

(一)は昨今の、自分のことは棚に上げて、そしてほとんど自分に利害関係のない話題にも一方的に批判の言葉を投げかける風潮に対して投じたい言葉だ。といっても私はまだよく腹をたててしまうのだが。
(二)は「いつ死ぬかわからないのだから、自分がやりたいと思うことはできるだけすぐにやろう」という心境に通ずる。

今回調べてみて遠藤周作が73歳という若さで亡くなったというのも少し驚いた。

本書の写真は、笑った表情あり、少し不機嫌な表情あり、何かを考えている表情ありと、遠藤周作ファンは写真を見るだけでも楽しい。

最近は、新作のミステリー小説や西村京太郎、池波正太郎などの小説を好んで読んでいるが、私は若いころから日本、外国とも純文学系の小説を多数読んできた。
日本の作家で特に好きなのは、遠藤周作、堀田善衛、そして思想的には少し拒否反応があるものの、好きな小説や戯曲の多い三島由紀夫あたりだ。
もちろんそれ以外にもたくさんいる。

1980年頃、私が大学生の時に遠藤周作の講演を一度聴いたことがある。
終わった後に持っていた文庫本にサインしていただき、その本は今でも大事にとってある。
この講演(都内)は遠藤周作が若き渡仏時代から大きな影響を受けたと述べている作家の一人、フランスのカトリック作家、フランソワ・モーリアックの没10年の記念講演だった。私は大学の卒業論文でモーリアックのある小説(当時は翻訳が無く辞書を引きながら原書を3回ほど読んだ、現在は翻訳もある)を研究したので、個人的に遠藤周作への親近感は強い。

遠藤周作の作品では、代表作の「沈黙」「死海のほとり」などと並んで、一番好きなのは「侍」だ。名作である。

もし遠藤周作が現代に60歳~70歳くらいの年齢で生きていれば、例えば今回のジャニーズ事務所の不祥事に関する様々な意見や批判について、どのようなコメントをしただろうか。それは堀田善衛でも三島由紀夫でも同様なのだが・・・


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