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虫すだく(ロマネスク) その9

  だから、日本が世界に誇ったいにしえの都、人気絶大な観光都市だった京都市も、「廃都」となって久しいのだ。
  朽ちた建物をいつしか覆い尽くしたのは、ススキや葭に似た草ばかり。樹木が育たない、草の湖と化してしまった。

  それを上空から記録撮影することは難しい。立ち入り禁止の都に、巨大な鍋蓋がされたかのように、災害の後ほどなく、濁った雲状の浮遊物体が形成され、完全に静止したまま、三十年以上留まり続けているのだ。
  ヘリコプター等で近づこうとすると、計器が狂って、まともな飛行が出来なくなる。小さな無人機でさえ役に立たない。俯瞰しての絵は撮れないし、その都を覆っている雲の中に入ることも叶わないのだ。
  台風が来ようとビクともしない巨大浮遊物の正体を、人間はいつまで経っても知ることが出来ずにいる。
  科学で解明できない、その不気味な対象へのストレスは、幾つものオカルトめいた解釈を生み出すことで、発散されようとしていた。
  災害の起こった昭和の終わり、京都の人間ばかりでなく、多くの日本人が「京都には空襲がなかった」、或いは「京都はその文化財の多さから、アメリカの良心によって、攻撃対象から外されていた」、と思い込んでいた。
  しかし、実際には馬町と西陣などが空襲を受けており、死傷者も多数出ている。更に、京都市こそが、原爆投下に最も相応しい都市として、ギリギリまでリストアップされていたことは、文書が公開された後も、殆どの日本人が認知していなかった。
  そのことが、事件後に一部で話題に上がり、やがて様々な尾ひれがついて、マスコミなどでもあれこれ報じられることがあった。
  どうしても京都盆地に原爆を落として、データを取りたかった、昔の米陸軍将校の妄念と、だらだら続く見せかけの平穏というものに、歪んだ鬱憤を募らせた、無数の悪い思念とが結びつき、膨張し、四十三年の時を経て甦ったのが、あの二機の原爆搭載機だったのだ、と。
  そうした突飛もない説を大真面目に語り合うことを、低俗だとする声も多かったが、起こったこと、続いていることが、余りにも奇想天外すぎるため、生きて生活している人間の精神バランスを保つ捌け口は必要でもある。
  どうしても解き明かせないものが居座り続けている恐怖から逃げるために、子供じみた空想を自棄糞で吐き出すのも、ある種の防衛本能だろう。
  悪質な商法や過激な終末論を説く怪しげな宗教も流行った。しかし、そうした悪意ある無数のグループは、彼らが結びつけようとした「一九九九年七の月」を待たずして、力をなくし、消滅していった。それは、国の治安維持組織による撲滅活動の結果ではなく、グループのリーダーを中心に「世にも恐ろしいこと」が、伝染病のように広がったからだ、とされている。まさにオカルトめいた事象で、このことも多少週刊誌などを賑わしたが、やがて誰も語らなくなった。
               *
  「それにしても、人それぞれの世界仮構が危うい中、よく三十年以上も大混乱が起こらないものですね」
  Zはこれまでにない、しみじみとした口調で、呟くように言った。
  「この国の国民性は、『受容する』ことに長けている。内外からの一寸した作用で倒壊しそうなところ、善くも悪くも、慣れた不幸が安定してしまえば、それを受け入れ、耐えられる。そんな集団意識もあるんだろうな」
  Xもトーンを落とした口調だ。Zは一つ息をつくと、声に力を入れ直した。
  「それで良かったと思いますよ。けれど、ここからは、あらゆることが好転して、人々の精神も、より自由なものが得られてゆくはずです」
  そう言いきるZの顔を、Xはまじまじと見つめた。常に主導権を取られ続けるようで、忌々しいが、若干頼もしくもある。
  「さっきもそんなことを言っていたな。負の思考さえ、誰かの幸福を祈る思いに転化する、そんな希望をオレも感じた。ただ、これが全体的に行き渡るかどうかについては、どうなんだろう」
  「そう、誰もが感知する必要があります。行き渡らせるための責任を、僕らは、よりパワーアップして背負うんですよ。
  元々エモーションを極端に下げられてる僕らでも、希望の波動を感知すれば、驚き、感動する。この、発見した、光の方向を向いた時の高揚感をこそ、保持して、広げるのです」
  Zはまるで理想論者のように、そこから持論を語り始めた。その様子は、未来の夢に取りつかれた子供のようなものだった。
  ──僕にはイメージが浮かんでくるんです。人間は、ポジの心で、どこにでも自由に立ち入れる可能性があることに気づいてないが、この巨大な難問の果てに、そうしたところへ辿り着くように出来てるんですよ。
  僕らはあの浮遊物体が何なのか知らされているし、その様々な部分のケアをする微細な細胞のように活動している。ひたすら自分達の仕事を機械的にこなす、シンプルな知性を持たされた、張りぼての木偶人形です。けれど、僕らでさえ、学び始めている。
  僕が今回飛び入りさせて貰ったのは、先の人物が愛した『オリーブの君』に、初めから興味があったからなんです。彼女は、大災厄の前に、その後の多大なケアを受け持って貰うように、呼ばれ、今や、様々な心残りや孤独の悲しみをケアするネットワークの中心、いや、その作用そのものになっています。
  柔らかくなった心は、引き合い、寄り添い合い、より豊かで明るい作用を広げる。あの雲の中は、本来阿鼻叫喚の地獄の風景であってもおかしくない。それが、基本穏やかな、架空の都市として成り立っているのは、勿論あなた方のケアのお蔭でもあるけど、オリーブの君からもたらされた心地よさが、広く相互作用してるからでもあると思います。
  僕がさっき、あのように断言したのは、あの雲の中だけではなく、現世の人間もいずれ同じように気づいてゆくはずだと思っているからです。
  この常識が通じない状態は、悪意からのものじゃない、といずれ誰もが気づく。でも、現実的な数字や損得にとらわれている内は、永久にこの「新都」に出入りできはしない。導きのシグナルを受け取ってしまえば、狂ったと思われようが、それが正解、イメージで何もかもが可能になります。
  この巨大雲と草の都自体が、一つの問いかけなんだ。人の1%でも、その意識や思考を、根本から変えられるか、新しい魂としての創造の時間を作ってゆけるか、の。
  この大試練は、また経済的に立ち直れ、また新しい復興の都を設立しろ、などと求めてはいない。
  さあ、人間よ、もう一度、この懐かしき都に自由に出入りし、消えたはずの人やものにも自由に会ってみなさい! という呼び掛けがなされてる。ただし、その硬い頭のままじゃ駄目だ。立ち竦んだまま、発想は枯れ果て、思考は麻痺し、いっそここをずっと「開かずの間」状態にしようと諦めかける頭脳じゃ、駄目なんだ。
  今こそ、気づかなきゃならない。救われて安らいでいる死者の魂からの、微弱な信号をキャッチしなさい。そこからは、刺激し合う波動で、誰もが喜びや意欲を取り戻せることが確かめられるだろう。
  あの雲の中の人々も大丈夫だし、生きてるあなた方も大丈夫だ。交流も出来る、助け合えも出来る。前向きな想像力、型破りな空想力で、どうか壁を突破して、あの架空の都にまで入ってきなさい! 
  我々もその力添えをしなければ。出来ないはずがないんだもの。常に、常に、人々の日常に、うたた寝の合間に、イメージを、メッセージ信号を忍びこませましょう。
  人間の、退化しつつある、触角も、いずれまた伸びてくるはず。
  「失ったものはこの先にある」と、さっきの方のご友人も言ってましたね。皆んな、自分こそが追いつかなきゃならないことを、忘れてる。思い出せば、また思念に新しい芽が出る。想像力と意欲が再生されて、また前に進めるんだ。……
  Xは、熱っぽく語り続けたZのことを、弟のように愛おしく感じ始めていた。作り物と自覚していた我らも、もはや立派な魂を持った存在だと思える。そう、もしかすると、我々は生きた、生身の研究員なのかもしれないし、被災したものの、いち早く前を向くことが出来た亡者の一部なのかもしれない。
  Zは、そのXの思考を電波で拾ったかのように、こう応じた。
  「そうです。あるもないも、ないもあるも、自由に行き来できることが分かりつつある。その中から、人それぞれの幸いが見つかります。
  あなたも僕も、あの人物もオリーブの君も、過去の何かの縁で繋がってるのかもしれない。ただただ、明るい光の方へ進みましょう。その思いで繋がってる手応えが嬉しいです」
  長く語ったZは、少年のような初々しい笑顔を見せて、最後にこう締めくくった。
  「さて、今日の僕は、何時になくご機嫌でした。あなたにくっついていって、結果、大きな希望を手に出来た。有り難いです。
  人間の視覚から、あの巨大雲はまだ当分、濁った紫色でしょうが、本当は息をのむほど美しい雲だ、と気づく時が、早く来るように、我々も頑張りましょう。
  いつか、生き死に関係なく、自由に誰もが、無数のポジの思念で出来た、美しい生き物としての都を、訪ね歩ける時が来ます。そして、そこから、より広い世界のより幸せな可能性について、多くの人間が創造してゆける。それを楽しみにしましょう。では、また、そのうちに!」
  そう言ったZは、Xの隣から忽然と姿を消した。いや、Xの目には、一匹のキリギリスのような虫が、飛翔しながら、山の大の字の下の方へ下降してゆくのが見て取れる。
  その辺りの草地でいいのじゃないか、と思っていると、やや上昇して、もっともっと遠くへと飛んでゆく。
  あの調子なら、御苑のあった辺り、或いは、昔、西陣空襲があった辺りまで、長距離飛行しそうだ。
  彼はそこらまで飛んで、草の上に降り立ち、さっそく歌を歌い始める。彼は一体何の歌を歌うのだろう。勿論、ポジな可能性の歌を歌うのだろうが、案外、遠い記憶の、甘く切ないラヴソングを歌うのかもしれない。
  そして、Xは「なるほど、そういうことか」と漸く気づいた。
  ほぼ眠らず休まず働いているつもりだったが、時折スイッチを切り、無の境地で座禅を組むような時間をとっている。
  きっとその間、自分も、一匹の虫となって、どこかの草にとまり、何か心からの歌を歌っているのだ。
  何一つ覚えてはいないが、今日のこの出来事を経た後の歌は、持続する軽い高揚感を加え、明るい未来を心から期待するような、力強いものになるのだろうか。
  思えば自分もずいぶん近視的だった。Zも言っていたように、一つ、オリーブの君を崇めてみようか。
  教えて貰ったのだ。真の再生が可能となる場所へ、前を向く思念は本能的に回帰するものなのだ、と。
  そして──、
  虫すだくこの広大な草地は、宇宙全体からは極小のポイントだが、常に健やかな未来を願う、善意の粒子達が、たゆまぬ活動を重ねている、貴い場所であるに違いない。
  そのような、確固たる思いが、Xの胸には刻まれた。
                                                                (おわり)
  

  

  

最後までお読み下さいまして、誠に有り難うございました。これは、私という一個人の書き置きです。

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