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虫すだく(ロマネスク) その8

  「大小様々な問題に接してこられると、色んなことがあるんですね。オチを聞かないと何とも申し上げられないけど、僕としては、そのような事例の、激しい負の感情でさえ、うまく生かし得る、と考えてしまいます。失礼しました」

  Zは、やや戯けたような笑みで、ペコリと頭を下げた。Xは渋い顔をする。「オチって、コントじゃないんだぞ」などと返すつもりはない。
  コイツめ、マイペースが過ぎるが、人懐っこさで誤魔化してきやがる、などと呆れるが、憎みきれないから、こうして対話を重ねているところもある。
  改めて大きく息を吐き出し、Xは続きを始めた。
  「話が長くて悪いな。一応の結末を話すよ。
  あの後、手続きをして程なく、オレは広大な草地の大まかなポイントに下り立った。
  彼が発する特有の波動が分かってるので、居場所を突き止めることは難しくない。
  問題は、対象をどうするか、だ。恐らくは、虫の姿になって、力の限り、心からの思いを歌っている。それを、然るべき場所へと送還すべきか、これはオレの判断に任されてるのだ。
  オレが対象を見つけた時、彼は案の定『怨みの歌』を歌っていた。オレの前でも語り尽くせなかった、積もりに積もった怨念の数々だ。周囲の美しい虫の音とは明らかに違う、不協和音として響いていた。
  注意すべきことの一つは、周囲に悪影響を及ぼすかどうか、という点だ。
  周囲の声は、一心に家族を恋しがる歌、青春時代への懐かしさなどを歌っている。勿論、中には嘆きや悲しみが深いものもあるけれど、虫の音として、ひどく濁ってはいない。
  これらの虫達は、雲の中に過ごしている人々が魂全体だとして、部分的な断片のようなものだと思われる。強い思念の残像に近いのかもしれない。
  それらが、猛烈な憎悪や怒りを発する一個人が丸々落ちてきた場合、感化されてしまうのかどうか、という点が心配だった。
  もし、周囲も暗黒の思念に侵食されるのであれば、早急に取り除かねばならない。そうなると、かなり厄介で、応援も要請しなければならない。
  オレは、長らく、朝も昼も宵の口も深夜も、ずっと付き添って、混乱の兆しが発生するかどうかを観察していた。
  ところが、変わらないんだ。調子外れのバイオリンが鳴りまくっていても、周囲のトーンやリズムは変わらない。
  驚かされたのは、やがて変わっていったのが、あの対象の方だったことだ。オレがずっと聞いていた、彼の尽きることのない怨念の言葉が、ある時、パタリと聞こえなくなった。
  彼が居た辺りの草むらを手で分けてみると、彼は虫の姿で、草の茎にミイラのようにしがみついていた。ああ、これで漸く、怨みの毒が全て排出されたのか、と思ったな。しかし、次の瞬間、ギョッとするようなことが起こった。
  澄んだ美しい鳴き声がし始めたんだ。よく見ると、紛れもなく、あの対象が、翅を立てて音色を奏でている。何を歌っているのか。短く同じ言葉を繰り返していた。
  それまで、気が遠くなる程、自分の不幸と孤独を泣きわめくように叫んでいたのに、一旦泣き止み、暫し沈黙し、再開したと思えば、耳を疑うような美しさなのだ。
  少しずつ力強くなっていった鳴き声は、『アマテラスオホミカミ』と唱えているのだった。いわゆる『とごとのかじり』という呪文だ。
  彼自身、自分の苦痛を自ら浄化するために、唱え始めたのかもしれない。ただ、その響きの澄み具合から、自分が多少なりともお世話になった人々、愛する家族、あらゆるものへ向けて、純粋に幸いを祈っていることが伝わってきたんだ。
  彼の不協和音は、周囲を汚染しなかった。最初、周囲は他者など関係なく、自己の思いしかない、と感じたものだが、傷んだ魂を包み込んで治癒する作用もあるのかな、と思ったね。
  逆に、浄化された彼の魂は、周囲との相互作用で、美しい願望を増幅させ、それが、君の言うような、エネルギーの良い転用に通じるのかもしれない、と、今感じているな。
  ただ、こういうことがあったから、あらゆる事態を考慮しなければならなかった。今回のも、どうやらうまく行ったようだが、何が起こるかは不透明だ。君は、オレを柔軟だと言ったが、冷徹に慎重に処理する基本はなかなか変わらない。機械のような存在が、情緒に溺れすぎるなら、この仕事ではない、別の場所で、まあ、自分も何かの歌を歌ってるんだと思うぞ」……
  Xの話に区切りがついた。Zは少し間をあけて、「お疲れ様です。いいお話が聞けました」、とやや明るい口調で返した。
  「いいお話、というのは、やはり、あなたは我々が進めようとすることにも、十分な理解がある方だ、と確認できた点において、ですね。そんな希望が増えるだけで、心は踊ります 」
  Zが嬉しそうにそう言うのを、Xはポーカーフェイスで受け止めるが、何となく腹立たしく思えていた相手のことを、かなり受け入れ始めていることを、こそばゆく感じていた。
  眼下に広がる草の海と、その上空に巨大宇宙空母かと思える、黒紫の浮遊物体──、その奇妙な景色を、改めてXは交互に眺めてみる。
  「生きてる人間は、オレ達の存在も知らないし、何をやってるか、想像もつかないだろう。
  崩壊を未然に防いでるだけで、結局、三十年経っても現状維持にしか見えないのが、もどかしくもある。
  更なる大爆発を決して起こさせない、ということだけではなく、劇的な改善、というものに繋がらないか、というのは、オレのような者でも思うよ。半永久的なモグラ叩きは、ウンザリだ」
  Xがつい愚痴っぽい言葉を吐いた。試しに吐いてみたのかもしれない。
  「もう引退したい、と思われますか?  でも、その劇的な改善は、我々と人間の空想的創造力から、必ず発生しますよ。それを楽しみにしてやってゆきましょう。それは、決して不遜なことでもないですし」
  Zの真面目な口調に、Xはつい同意するように頷いた。
  それにしても、何故、京都盆地は一面草はらとなり、上空に不可思議な巨大雲が長年居座っているのか──。
                     *
  昭和六十三年八月八日の午後三時頃、それは、何の前触れもなく起こった。
  京都盆地北部を中心とした広範囲を、目が潰れんばかりの真っ白な閃光が覆い、次に大爆発によるものと思われるキノコ状の雲が、途轍もない高さまで上昇していった。
  その様子については、比叡山や愛宕山に登っていた人々から多くの証言が取られている。
  ただ、多数の証言を裏付ける写真や動画の類いは、どの方向からのものも残っていない。
  それは、まるで時空を超えてきたかのように、突然京都市の中心部上空に現れたのだ、と言う。各所で目撃した年配の証言者は「大型爆撃機・B29だった」と口を揃える。
  雲間から現れたのではなく、晴れた空に、パッと、しかも二機同時に飛び出してきたらしい。
  その二機は、ほんの僅かな時間だけ、京都の上空をそれぞれ旋回飛行し、比叡山等の山上から見守る人々が「アッ」と叫んだ次の瞬間、二機とも墜落した。そして、非現実的な大爆発が起こる。
  結果、三方を山に囲まれた京都市北部はほぼ消滅、南は京都駅周辺を含む、竹田辺りまでが壊滅、東山沿いに建ち並ぶ名刹の数々も完全に消失、西は、桂川より西側が運良く焼け残った。
  しかし、人類史史上最悪の出来事により、百万もの市民、勤務者、観光客が、一瞬にしてその地とともに消え去ったのだ。
  この誰もが想像すらしなかった事件により、国内外はパニックに陥るのだが、どこか、余りにも常識を超越したニュースであるためか、世界中が半ば信じていないような節もあった。
  また、冷戦の構図も崩壊に向かいつつある時期だったことも影響したか、大陸からの機に乗じた動きも、ついぞ見られなかった。
  何より、京都にアメリカの旧型爆撃機が墜落、という情報も、一時は不確定のニュースとして世界中を駆け巡ったが、京都方面へ爆撃機が飛行してゆく目視やレーダーの記録もなく、即座に日米首脳が共同で否定する。
  ただ、やはり、周辺の山などから目撃し、生命が助かった年配の人や、その中の資料に詳しい人などは決して譲らない。「エノラゲイ」と「ボックスカー」そっくりの飛行機が一機ずつ突然現れ、二十秒程で、それぞれ京都御苑の西と南に落ちたのだ、と。
  問題は、僅かなシャッターチャンスを逃さなかった人達の、機体をとらえたはずの写真が、全て一様に真っ黒であり、大事件にも関わらず、画像や映像を伴った証拠は一つとして得られなかったことだ。
  また、事故後、飛行物体が墜落したとされる辺りの調査が入念になされたのだが、機体の僅かな欠片一つも発見されなかった。
  ただ、多くの証言通り、御苑の南数百㍍と堀川今出川辺りが、巨大爆発の中心地であることは確定され、公式に発表もされている。
  この、今に至るまで、日本中世界中を不安にさせ続けている大事件は、常識では割り切れず、安易な推測さえ許さないことに満ちていて、携わる科学者や研究者の多くは、程なく精神を病むと言われている。
  余りにも甚大すぎる被害に、爆発は複数の原子爆弾によるものと思われ、それに応じた対処と救護が講じられたが、過去に経験した惨状とはひどく様相が違っていた。
  巨大なキノコ雲は、十分程度京都市の中心部を覆い隠していたが、それが薄れると、熱線と爆風によって引き起こされた大火災の光景が見え始めてきた。
  ひしめき合った京都の家屋や建造物は、あっという間に延焼を連鎖させ、火の手はどんどんその範囲を広げていった(この地獄絵を比叡山山頂から見ていた多くの人がショック死したと言われる)。
  大火災によって発生した煙や雲は、また最初のキノコ雲と同じようなものを形成し、その煙の柱は、百km離れた地点からも確認できたという。ここまでの伝聞には、さほど奇妙な点はない。
  ところが、この大惨事による、京都市民や来訪者などの遺体は、焼死体はおろか、僅かな肉片の一つたりとも発見されなかったのだ。病院に入院していて、動けなかった重病人さえ、忽然と姿を消した。爆発を受けた者は皆、その肉体ごと、完全に消滅したとしか思えない状況だった。
  惨事の「境界」にいた人々にも、明暗があった。西や南の方面で、火災から逃げ切った人は、今も健在な人が多数存在するが、家族や貴重品を探しに戻った人は誰も帰らず、やはり遺体さえ発見されなかった。
  (*よって、この大災害による犠牲者は、周辺の山などでショック死した人などは数えられているが、百万人もの市民などは、いまだに行方不明者とされている。)
  数限りない不可思議な現象を、まだ幾つか記す必要がある。
  無残な焼け野原になった京都市中心部は、直ちに空間放射線量と土壌中放射能の計測調査が行われたのだが、これが常識に反して、日を追うごとに数値が跳ね上がり、且つ、焼失した部分を全て覆うように広がったのだ。
  そして、その数値は、三十年以上経った現在も、殆ど変化がない。それでいて、生き残った近隣市民に被爆による発病はないというのだ。
  数値からすると立ち入れるはずがなく、京都盆地北部は、まるで放射能の湖が出来たかのように、そこへ滞留したまま、全く手がつけられない。
  奇妙なことはまだあり、高濃度の放射能が留まっている場所のすぐ横を流れる桂川の水からは、基準値を超える数値が検出されず、鴨川の水も、竹田以南では、突然問題のない水となる。その出鱈目な現象に、政府も匙を投げ続けるしかないのだ。
  三方を山で囲まれた京都盆地の北部、そして、桂川から東の部分、南は竹田のとある地帯、東山三十六峰の山際は勿論、東福寺の辺りまで、焼けてしまった部分を線で囲い、さあ人間よ、この範囲を無期限で立ち入り禁止とする、と、目に見えぬ大いなるものが、突然決めてしまったかのようだった。
  だから、長らく日本が世界に誇ったいにしえの都、人気絶大な観光都市であった京都市も、「廃都」となって久しいのだ。
  朽ちた建物をいつしか覆い尽くしたのは、ススキや葭に似た草ばかり。樹木が育たない、草の湖と化してしまった。

(その9《最終回》に続く)
  
  
  

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