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虫すだく(ロマネスク) その4

 目が合った場合、彼女の笑顔を正面から受け止め、狼狽える素振りと硬い表情は見せず、ただ穏やかにさりげなく微笑んで、軽く会釈を返す。その時に、そっと視線を切れば、問題のないことなのです。

  実は一度こういうことがありました。市場の通路を歩いていると、目の前の商品の山が崩れたのです。
  特別バランスが悪かったわけじゃないのですが、カップ麺のピラミッドが土台ごと倒れました。
  自然な反応で通路に散らばった商品を集めていると、案の定彼女が素早く走ってきて、「申し訳ございません」と頭を下げ、手際よく元通りに直してゆく。
  彼女はこちらの手伝いを強く遮断するような態度は決して取りません。協力して頂いたお蔭であっという間に片付きました、となるように、絶妙な気づかいを織り込んでいることが感じ取れるのです。
  実際片付けが終わると、輝くような笑顔で「有り難うございました」、と耳に心地よい声を投げ掛けてくれました。その場の空気感を最良にする術を心得ているのです。
  こちらはまた目眩を起こしそうになりながらも、「どういたしまして」としっかり返します。そこで余計な言葉を継いでは台無しです。
  改めて軽く会釈をしてから、通路を奥に進み、買い物に向かう。さっさと用を済ませ、レジでお金を払い、自然さを保ちながら、風のように市場を出ていったのです。
  その事があった後は、ちょっと市場へ入る回数を控えました。図々しく距離をつめるなよ、と自らに言い聞かせたのです。自分は大勢のお客の影の一つで十分だ。自分は、ただ、彼女の内なる光に感化を受け続けるだけで、道を確かめさせて貰える。それだけで幸せじゃないか、と。
  こうした思いを、サトウとタケウチにも話しました。三人でハイキングへ行ったり、河原町で食事をするなどということは多々あったのですが、映画を三人で、特にその名画座で見ることは一度たりともなかったのです。
  サトウは美術館巡りが好きで、映画の好みはヌーベルバーグとかアート系。タケウチはミュージシャンのコンサートに足繁く通うのが趣味で、映画はアニメーションを見るくらい。よって、市場の上の名画座に三人で行く流れにはならなかったし、話しても差し支えないように思ったのでしょう。
  打ち明けると案の定、冷やかされ、こちらの考え方については「マゾ的なカッコつけだ」、と両方から言われました。
  「お前が馬鹿な痩せ我慢してる間に、何処かの兄ちゃんに取られたら、絶対後悔するぞ」とか、「もし彼女がハンサムな異性と親しげにしているのを見たら、ごく自然に嫉妬するだろ?」、と畳み掛けられましたが、自分の心の中は穏やかでした。
  彼女と親しくするものがあれば、それは翼を持った天使くらいだ、と半ば本気で思っていたのです。何より、自分が他を出し抜こうという欲望とは遠く、その事を自分でも嬉しく思っていました。
  サトウもタケウチも呆れながら、「これは一度、その天使か女神のお顔を拝みに行かなきゃならんな」、と笑っていたのですが、私が「興味本位ならやめてくれ」、と本気で怒ってみせると、次第にからかうのを控えてくれるようになりました。
  思えば二人とも、あのような面倒臭い自分と、上手く友達づきあいをしてくれたものだ、と今になってしみじみ思います。
  瀬戸内の旅行は、何が切っ掛けで、誰が提案したのか、覚えてません。三人とも別々の大学の三回生、単位取得も順調、一番ノンビリしている時期でした。
  二人が鍾乳洞廻りや、塩飽諸島を望む鷲羽山などを行程に入れてくれたのは、横溝正史ファンの私へのサービスだったのでしょう。
  そして、牛窓も、「織部みどり」さんとオリーブ園をかけての気づかいだっんだな、と鈍感な私は後になって気づいたものです。
  オリーブパレスで貰ったオリーブの苗を、一番大事に持ち帰ったのは、当然この自分でした。
  二人は旅の間中、織部さんの話題を面白半分に出すことはなく、ただ、旅の終わりに、一言、サトウがポツリと「お前にとって、彼女は『オリーブの君』だもんなあ」と言ってくれたことを覚えています。
  そしてその後──、と話を続けようとして、私は今でも胸が締め付けられることに驚くのです。
  過去の物事は、大抵記憶の奥底に柔らかく折り畳まれています。けれど、甦ってきたこの思い出は鮮烈で、苦しく、痛く、息が詰まって仕方がない。澱んでいた心を、強炭酸水で洗い流すような気分です。
  整理すると、まず、オリーブが枯れる、ということがありました。
  牛窓から貰ってきた苗は、大きな鉢に植え替え、ウチのベランダで順調に育ってたのですが、5年持たなかったのです。世話は怠りませんでした。突然樹勢が衰え、なす術もなく、呆然としました。
  私は、この事と彼女を関連付けて考えないようにしたのですが、時折心配になって、市場へ彼女の姿を確認しに行ったものです。
  私はもう勤めに出ていて、彼女の方も、どうやら正社員になっている感じでした。変わらぬ元気な姿を見ると、安心しました。こんな景色がいつまでも続けば良い、と願う一方で、物事は移り行くものだ、ということも、どこかで受け止めていました。
  市場は、二階の名画座ごと、昭和六十三年春に閉鎖されることとなったのです。それは、時代の流れとして、仕方のないことだったのかもしれません。
  ただ、私は、その話を聞いた時、気落ちするより、この機を待っていたかのように、とある意欲が湧いたことを覚えています。この区切りこそを、自分にとっても、大きなアクセントにしなければならない、と思ったのです。
  私は、織部みどりさんを、「憧れの君」として、一定の距離を保ちながら、目指すべき魂の高みに掲げ続けてきました。他人からすれば、綺麗事を気取り、芝居がかったシチュエーションを自分で作り、自分で酔ってるだけじゃないか、と思われても仕方ありません。
  それでも、彼女の姿を目にして、彼女の芯から発せられる声を聞くと、やはり、片思いだとかそんなものとは違うものを新たに感じ直し、生き物として当たり前の行動に出ないのも自ら納得出来ていたのです。
  それが──。
   身近な、 「彼女が居る場所」がなくなる、という大きな状況変化がやってきた時、私の中で、思いもしないモノが突然はじけました。
  私は、最後に、一度きりの「告白」をしよう、と決心したのです。
 それは、恋の告白ではありません。私が心から感じる彼女の気高さを、密やかに自分の日々の目指すべき光として慕ってきたことを、率直に伝え、一言、ただ感謝の思いを言葉にしておきたかったのです。
  市場と名画座の閉鎖まで、二ヶ月ほどありました。私は、早速、次に彼女を見かけた時、躊躇うことなく、それをしっかり伝える覚悟を持っていました。
  仕事のない日は、可能な限り、その時やってる映画を観ることにして、その前後に下の市場に彼女の姿があるかどうかを確かめました。
  ところが、何度足を運び、市場を見渡して、彼女の姿を探しても、見つからないのです。もしかすると、市場の閉鎖より早めに辞めてしまったのだろうか、と思いました。
  それは確かめればすぐ分かることです。社員の人でも、パートのおばちゃんでも、尋ねれば普通に答えてくれるでしょう。
  でも、私はそれをしませんでした。会えるなら会える、会えないなら会えない、その運命に、最後まで身を委ねることにしたのです。自分の面倒な性質は一貫していました。
  今日もいない、今日も姿がない、を繰り返し、もう市場自体の閉鎖の日が近づいてきます。私は、営業最終日の終業時間まで入り口の傍らで待ち、それでも会えなかったなら、そこで区切りにすることにしました。
  けれど、その必要はなくなったのです。
  ある平日の夜、勤めが早めに終わったので、映画は観ず、市場にだけ寄ってみる、そんな機会がありました。
  駆け込んで、目で探し、やはり彼女はいません。私は淡々と受け止め、野菜や惣菜の値引き品などをカゴに入れて通路を歩いていました。そこへ、通路の脇で立ち話をしている、パートのおばちゃん二人の会話が耳に入ってきたのです。
  それは、何かのご厚意か、健気な私への憐れみか、過不足ない程度のセリフを打ち合わせ通り、こっちに聞こえるギリギリのボリュームで、やり取りしてみせてくれている、そんな感じでした。
  「みどりちゃん、可哀想にね」「お里で倒れるなんて」「元気になると思ってたのに」「もう、あちらの方で、みんな済ませたんだって。寂しいね」「今度、ご家族が挨拶にみえるって。わざわざ遠くから」「こちらが助けられてばかりだったのにね」……。
  もう十分でした。私はどのようにウチヘ帰ったのか、全く覚えてません。しばらくは、「やっぱり天使は天にいる方が似つかわしい」と、自分に言い聞かせようとしてました。
  彼女は自分の中で永遠の影となり、より一層純化する。それを消化して、或いは昇華させて、後は黙々と前へ歩いて行く。それが、自分だけの物語の道筋なのだと信じて。
  しかし、その冷徹なシステムのような理屈は、脆弱な赤ん坊のような私の精神には、無理がありすぎました。彼女をいくら心の高みに掲げ続けても、心のオイル漏れが激しい自分は、息切れして、前進できないのです。
  私は情けないことに、そこから全ての目標や意欲を失い、日々を虚ろに過ごすこととなりました。一見、普通に勤めに出て、日常生活をこなしているように見えたかも知れません。
  しかし、自分としては、その「ひとの営み」という単純な受け持ちでさえ、そいつが一日の始まりから、自分の前に立ち、さっさと歩き始めると、ついて行くことも儘なりません。
  それまで自由に動けていたのに、脱皮に失敗したがために、歪な姿で必死に生きなければならない一匹の虫のようなものです。
  ……私はここまで話しました。順序だてて丁寧にお話ししたつもりでしたが、かつての自分と夢と、夢の中の夢と、かなり混合してしてしまってる気もします。何より、この話はどう着地するのだ、と戸惑われているかもしれません。
  ただ、一つ、申し上げておきたいことは、決して絶望を訴え続ける形で終わらない、という意識がはっきりしてることです。
  ここで、私は全てを吐き出し尽くし、お二人の前で、一つの決意を表明したいと思っています。話が逸れました。すみません。
  昭和六十三年夏でしたか、私は、やはり、職場と病院と、自宅とを、行き来するだけの、虚ろな毎日を送っていました。
  そんな時、道を歩いていると、目の前が突然真っ白になってぶっ倒れました。普段の目眩や立ち眩みの百倍くらいの重さだったように思い出されます。光に包まれ、烈風に吹き飛ばされたようにも感じました。
  どれくらい意識を失っていたのでしょうか。ふと気がつくと、運ばれた病院のベッドの上かと思いきや、この部屋に寝ていたのです。
  私は何故かそれを不思議に思わず、ああそうなんだ、と納得したのです。半分、認識していたのでしょう。生きて、こうしているワケがない、と。
  私は、いつもここで微睡んでいて、立ち上がることなど殆どないのですが、夢見の中で、様々な所へ行けます。
  何故か勤め先へ行くことが多く、作業の指示を誰かに出したり、書籍の入った段ボール箱を台車に積み、図書館へ納品に行く仲間に明るく声をかけたりしてます。そう、夢の中で病院にも行くのです。自分が調子悪いままなのか、よくなってるのか、中途半端でもあります。
  夢に夢を重ねるばかりで、何も生産しないことへの虚無感や苛立ちは、あるようでありません。これら膨大な夢見こそが、死後の世界の正体なのだろうか、ともボンヤリ思いました。半永久的に続いて、いつか本当に「無」へと消えて行くのかな、とも思っていました。
  そうした時に、今回の鮮烈な、長い夢を見たのです。そして、私は、忘れ去っていた「欲求」のようなものを、胸に取り戻したような気がしています。
  その欲求を満たそうとすることは、非現実であるように思えますが、この状況自体、非現実なのだから、うまく行くと思えば必ずそうなるような気もしています。
  私の思念の波動は、こうして、カウンセリングのように、お話を聞いて頂ける機会に繋がりました。まだ多少混乱状態でしたが、こうしてお話を聞いて頂く内に、私は落ち着いてきた上に、ある種の希望が芽生えてきた気がします。
  ……長々となりました。話におかしな点は多々あるかと思いますが、宜しければ、何かご意見かアドバイスのようなものを頂ければ、幸いです。
                        *
  男の話はそこで区切られた。ZはXの顔を横目で見た。Xはほぼ無表情で、ノートに速記文字のようなものをサラサラと綴っている。医者がカルテに何やら書き込んでいるかのようだ。

(その5に続く)


  

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