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性について考える | 東京レインボープライドでのイベント開催にかける想い

はじめに

今日は少しセンシティブなトピックです。私はこの記事を書くことで思い崖ぬ誰かを傷つけてしまうかもしれない。ですが、今回ひょんなことで関係者として参加する「東京レインボープライド」でのイベント開催にあたり、自分自身、改めて「性」について向き合い、思考を整理し、これからの未来をより良くするために、この記事を書いていきたいと思う。

私が「性」について考えるようになったきっかけ

私は、「男らしく」や「女らしく」という言葉が子供の頃から好きではなかった。外見的な性は「男性」であるものの、内面の自分は、「男性」でも「女性」でもない、どこか中立というか、どっちつかずというか、そういった感情を持っていた。

ドラゴンボールが好きな一方、マーマレード・ボーイのような少女漫画も好き。外で遊ぶことよりも、室内で遊ぶことに興味を持ち、トランスフォーマーのロボットで遊ぶかたわら、シルバニアファミリーで遊ぶことも楽しめる子供だった。

色白、無口、温厚(いずれも当時はw)ということもあり、周囲から時に女の子のように扱われることもあったが、私は強ちそれがイヤではなかった。

性的指向についても曖昧だった。そもそもいわゆる「モテる」タイプの人間ではなかったので、恋愛には億劫さを感じていたが、男性、女性問わず魅力的に感じる人には素直に「この人好きだな」という感情があった。

自分がわからなくなっていた。どう生きて行くのが正解なのだろう?と。男性であることは自認している。女性を自然と好きになる自分もいる。一方で、一般的に女性が好きとされるような趣味趣向にも興味を持てるし、女性でキラキラと輝いている有名人や起業家にも強い憧れを持つ。そんな自分がいた。

何がどう転んでもおかしくない、そんな感情と向き合いながら私は大人になった。

ゲイの親友との出会い

大学生の頃の話だ。当時バイト先で一緒に仕事をしていた男性がいた。彼とは考え方のスタイル、興味・関心などが一致していた。将来に対する不安、自分らしく生きて行くことへのあくなき探究心なども。

彼は当時そのバイト先で同僚の女性と付き合っていた。彼らは普通のカップルだった。時に愛しあい、時に喧嘩し。彼は私に、時折喧嘩の愚痴を話してくれたりもした。私と彼はとても仲の良い親友だった。

しばらくして、彼も私もそれぞれの道を歩み出した。彼は彼の道へ、私は私の道へ。バイト先を離れ2〜3年ほど経った頃だろうか、彼と連絡をとった際に、会おうということになった。私たちは数年ぶりの再開を果たした。

彼はその時、自分はゲイであることを私に告白してくれた。最初は彼が何を言っているのかわからなかった。私と違い、彼は何人もの女性とも付き合ってきた過去を持っていたし、見た目にも当時と何ら変わりはなかったからだ。しかし、話していくうちに、彼の彼らしさをそのまま受け入れている自分に気づけた。何と説明すれば良いかわからないが、自然と理解が脳に染み込む感覚。

私は彼と恋愛に近い関係になったことは一度もなかった。友人は友人であり、その価値観がお互いに変わることはなかったと思う。

再開後もしばらくは連絡を取り合っていた。また会おうと言いつつも、お互い遠く離れて暮らしていたから、次の再開の日は訪れなかった。私は連絡先を消失してしまった。大切な友達にも関わらず。今でもそれは後悔していることの1つだ。もし願いが叶うのなら、もう一度彼に会って話がしたい。

カナダでの経験、ゲイは普通のこと

2010年の出来事だ。今から約10年前、私はカナダにいた。

ワーキングホリデープログラムを利用していた私は、1年間の滞在の中で、「性」について考える機会を多く得た。思い起こされるのは、アートの世界で生きる日本人の友人が、バンクーバーで開催したペーパードールのワークショップ。そこでゲイのカップルに生まれて初めて出会った。彼らは見た目には何ら私と変わらない風貌をしていたが、関係性は明らかにカップルそのものと言えるものだった。

これがゲイのカップルなのか_。

カップルを目の当たりにして、初めてゲイの世界を実感した。

自然体、ありのまま、そして互いを信頼する絆。こんな言葉がピッタリ来るような関係性。心理的な居心地の良さを感じた。二人の「性」が同じだからこそ分かり合えるものがある、そんな気もした。

カナダ滞在中は、他にも何組ものゲイカップルと出会った。ゲイは珍しいものでも何でもなく、時折日常に訪れる出会い。こんな世界が日本でも実現したら、きっと私も、もっと自分らしく生きることができるんだろうな、とぼんやり思った。

誰もが自分らしく生きられる世界を目指して

そして、2021年4月。私は今ここにいる。東京レインボープライドでのイベントに向けたリハーサル会場。私が所属する会社が初めて対外的に行うLGBTQイベントの予行演習だ。

20年近く前のゲイの友人からの告白、10年前のカナダでの体験を経て、今またこうしてLGBTQと向き合う機会が私に訪れたのは、何かの縁かもしれない。

カナダを離れてから10年の間に、私は結婚した。子供も授かった。だけど、「男性らしく」とか「父親らしく」という言葉には相変わらず違和感を感じる。「男性らしく」とか「父親らしく」の前に、そもそも「自分らしく」ありたいと思うのだ。

素敵な人であれば、性や年齢に関係なく憧れを持ちたいし、背中を追いかけていたい。すべての人のすべての価値観の理解に努め、その人の「自分らしさ」を支援したい。そんな風に強く思う。

では、どうすればそんな世界が実現できるだろうか?

まずは、私自身が今自然体に生きていること、ありのまま生きる勇気を持っていることを公に示すことが一歩につながるだろうと思う。そのためにこのnoteを書いた。

今の自分にできること、それは自分の意思に基づく自己開示だと。

しかし、最終的に目指すは、誰もがリスペクトされ、自由に生きられる世界の実現だ。その第一歩が今日であり、今回準備を進める東京レインボープライド内での自社イベントであってほしいと思う。

私の小さな勇気が、世界を変えるきっかけになることを信じ_

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