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武相荘を垣間見てきた
日付が変わってしまったが、今日は夫と二人で、千葉そごうで開催中の展覧会へ行ってきた。「白洲次郎と正子展」。
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フォトスポットと書かれた、撮影可の場所は撮りながら見た。武相荘の屋内の雰囲気を伝える工夫をされたコーナーのようだった。
本棚の中の本など、部分的に本物ではなかったりもするので、そんな部分をまじまじと見てしまうと興ざめする。が、簡単に写真に撮る分には違和感なかった。
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白洲次郎は、おしゃれという印象で友人から聞き知っていたが、「はくしゅう」と読むと思っていたくらい、予備知識はなかった。夫の方がいろいろと知った上で楽しめているようだった。
写真不可だったが、報告書だったのか、日記のような体裁の書類が展示されていた。古い字体の漢字とカタカナで書かれた見た目は、何だか格好良い感じだった。手書きではない。それでも、展示されていた吉田茂による毛筆と同様に、読めない気がしながら見ると、意外と問題なく読めるものだった。
読むと何だかカジュアルな表現の文章で微笑ましかった。とはいえ、戦後の外交に関わっている内容だったりする。歴史音痴の私が読んでもわからない。
夫は、侃々諤々やってた頃のもの、と言っていた。読み応えあるんじゃない?と言っていたが、これほど古い漢字だらけな文章を、夫がどう読んだのかは知らない。
英文の手紙なども展示されていた。タイプライターも展示されていた。QWERTYではなく、QZERTYと並んでいた。
外交にも活躍したのだろうが、それとは関係なく、いろいろな工作に長けた人のようだった。
何だか器用に、小さなものから小屋まで作っていた亡き祖父を何となく思い出し、そんな器用さは珍しくない時代だったのかとも思った。
が、酒瓶を切ってグラスにした、その切り口の処理の滑らかさに驚いた。
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武相荘は、かなり前に友人たちが行きたいと話題にしていた場所。なのだが、遠いことで(というより私が朝に弱いことがネックで)一緒に行くことは実現しないままだった。その遠い場所から、多くの所蔵品が近くへ来たようだった。
友人の一人はその後、武相荘まで行っていたが、行っていなかった私には気になる展覧会だった。今の武相荘は、隠れ家な雰囲気はないと聞いてはいたが、土地柄や建物も含めて見たいとは思う。それでも、そんなに近くまで所蔵品が来るなら行こうと思った。
とりあえず、子どもが学校から持ち帰った招待券を見て開催を知り、行くことは即決。夫も興味を持ったようだったので、一緒に行けるタイミングを気にしながらGWを過ごしていた。行けて良かった。
白洲次郎の生きた時代は激動だったが、夫婦ともに、好きなことをしっかりと楽しんできた様子をうかがえた。恵まれた環境でもあったのだろうが、それ以上に自分の考えをしっかりと持った人たちのようだった。
白洲次郎は、「従順ならざる唯一の日本人」とGHQに認識されていたようだった。
少し前の時代なら、従順は一つの美徳ではなかったかと思う。
今は、従順が褒め言葉になるとは思われない。
むしろ「従順ならざる」考え方もできることが、当たり前に必要なのではないかと思う。
国内に関しては、白洲次郎の生きた時代ほど激動ではなさそうだが、今も十分に激動の時代。遊んでいれば良いという話ではないが、好きなことを心から楽しむ姿勢を大切にしたいと思った。