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#2 オマージュ

あー誰だったっけかなあ。
こないだなんかのアスリートが言ってたんだよな。
「私にとってこの競技は瞑想に近い」って。

意識が研ぎ澄まされる感じなんだろうな。
今日は登山してきたけど、木々の緑の中、ホント何にも考えなくなるんだ。

それで「瞑想に近い」を思い出したんだ。

山歩きも、なんか瞑想に近いなあってさ。

無駄な考えや物、音がそぎ落とされて、意識が研ぎ澄まされる感じ。


季節は違うけど、こんな和歌知ってるか?
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕ぐれ」
藤原定家の歌。

浦って海のこと。
そこにほったて小屋だけがある秋の様子だ。

「花も紅葉も」ない。
「ない」から、シーンとするんだよ。
花とか紅葉とかそぎ落として、表現する。
言葉で、意識を研ぎ澄ます感じだ。

ところで、この和歌は昔の和歌を作り変えたものなんだ。

「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」

季節は春だ。
「柳桜」が風に揺れている感じだ。
華やかな歌。

これはこれでいいけど、定家は、どう作り変えた?

「見渡せば」は同じ。

「柳桜をこきまぜて」が「花も紅葉もなかりけり」が変わっている。


さっき言った通り、花とか紅葉とかそぎ落として、シーンとした様子の和歌に作り変えたんだ。

無駄なものをそぎ落として、意識を研ぎ澄ます。
こんな考え方が中世は流行ったんだな。

昔の作品を、「見渡せば」のように少し参考にした作品が分かるようにしながらリメイクして新しい作品にすることを、本歌取りっていう。
芸術の言葉で言えばオマージュという。


サザンの「ミスブランニューデイ」って歌知ってるか?
曲の出だしのシンセサイザーの繰り返しが特徴的だ。
歌詞の内容は、ブランニューデイ、流行を追いかける女は、自分は個性的だと思っているようだけど、「教えられたままのしぐさに酔ってる」「わりとよくあるタイプの君」だって言うんだ。

初期の桑田佳祐はビリージョエルの歌い方も採り入れてきたんだけど、そういえば!って思った曲があったんだ。

それは「オールフォーレイナ」っていう曲。
https://mewbo.jp/song/video/billy-joel-all-for-leyna

この曲の出だしは、ピアノ繰り返しフレーズが特徴的だ。
で、歌詞の内容は、レイナっていう女に惚れて、彼女にもてあそばれているのを分かっていてどんどん自分が狂っていくという内容。

ホントかどうかはわからないけど、俺は、桑田が「オールフォーレイナ」のオマージュとして「ミスブランニューデイ」作ったんじゃないかと思ってるんだ。

誰かを好き、愛してるとか、狂うほど好きになるとか。
これは伝統的な発想。

「ミスブランニューデイ」は1984年の歌。
バブル期に差し掛かる、日本がイケイケの時代だった。
そんな時代に、あえて桑田は、女に惚れるという「オールフォーレイナ」をオマージュして、女を客観視して歌う「ミスブランニューデイ」に作り変えて見せた。

アーティストって、こうやって新しい作品を作っていくんだとも思うんだよな。

おっとしゃべりすぎたな。
何飲む?
バブルの頃はみんなよく飲んだバーボンのロックでも飲んでみるか?

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