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「マジで無限に米食えるやつ」と「マジで匂いだけで米食えるやつ」

鯖の味噌煮を食べました。
スーパーじゃなく地元の魚屋さんが煮付けて売ってる高いけど美味いやつ。
前の晩に飲みに出かけてて食べられなかったのを贅沢に朝ごはんでいただきました。

「好きな食べ物何ですか?」
って聞かれて、いろいろ好きなもんがありすぎちゃうので、
(えー?んーー。。)
なんて悩んでる時にはゼッタイに思い浮かばない鯖の味噌煮さんなんですけど、
いざ目の前に現れてくれた時には、
(ミソニ。ぼくは前からキミが
ってココロん中で告白したりして数ヶ月に1回程度の再会を繰り返し続けてきてる。
そんな、本名は鯖の味噌煮であるミソニとワタシの関係。

昨日も
(忘れててごめんね。)ってまずは謝って、
(やっぱり最高だよ。)って褒めちぎる、
そんないつもの再会でした。

再会を楽しみながらのココロのつぶやきは、
(これ、マジで無限に米食えるやつぅ。)
ってので、
小さからず大きすぎずで鯖を箸で摘んだら、
甘みが正体のトロっとした味噌の煮汁にペロっとしてーので
パクッと、、、

味細胞とか味蕾とか味覚の機序に関わってるやつらのことなんかどうでもよく、
(んまいわー。)
って感慨しつつも感嘆に浸りすぎないうちに、
お茶碗に程よく盛られた米をいつもよりデカ目に掬いあげてーので
バクっと、、、

(ミ、ミソニ。。)

目をつぶって咀嚼しながら、
米とミソニの相性に感嘆して涙する。
こんなこと喋りながら本気で涙流してるオヤジが朝の食卓にいたら、
家族って離散するんでしょうね。
その辺はわきまえて食事の終盤に静かに席を立って、
ミソニとの別れが近づいてることがあまりに惜しいがために、
いつもはしない二杯目のおかわりご飯を家族に隠れるように盛ってきて、

(ここは最後の一口に、)
として図って取っておいたミソニの油多めの大好きなところでもって
お皿を拭くようにして煮汁をまとわせ惜しみ尽くして口に入れ、
計算し尽くされた量の最後の米を口に運ぶ。
いよいよ

お別れです。
や、
ごちそうさまっすね(^^)

そんな気持ち良いような悪いような朝ごはんだったんですけど、
本気でバカなおっさんなので余計な疑問が湧いちゃいます。

(てか、)
(どんなにミソニが美味いからって、)
(無限には食えねぇだろうよ。米。)
(無限に食えるぅとかってよく簡単に言うけど。)
って思う。
で、
(や、や、や、や、)
(比喩よ、比喩、それくらいに美味いって例え。)

胃の中にいるミソニを置いてきぼりにして自分と自分でワチャワチャしちゃって、
どうでも良いことなんですけど、
(ま、無限には食えないよ。無限なんかじゃないよ。)
って結論にして、午前にやることに移るわけです。
そんなの忘れるわけですね。
でも、
(あ、楽しみってのは、無限なんかじゃないんだよな。)
(無限じゃない、有限なんだ。)
(時間がそれだ。)
(限りがあるんだ。)
ってミソニからの気づきをカッコつけて納めた朝でもありました。

そしたら、今朝ですね、
なんの気なしについてるテレビから、

「これ、マジで匂いだけで米食えるやつぅ!」
って声が聞こえて来て、
(ぬ??)
って思っちゃうわけです。
なんか、昨日の疑問と似てんじゃねーかと。
これも比喩か?例えか?
本当に匂いだけで米いけんのか?って。

(いけんじゃねーの??)って自分に問いかけて、
(や、いけねーだろ。。)って答える自分。
(じゃ、いけるってのは、お茶碗一杯食えるってことか?)って逆質問する自分に
(や、や、お茶碗一杯とは言ってないじゃん。)って答える自分。

あ。そうかと。
匂いで米食えるやつぅ、の方は、
匂いだけでチラッとでも米食って、
(んまいわ。)
って思えるやつで良いのかと。
そうだとしたら、比喩とか例えなんかじゃなくて、
結構とリアルな表現なのかと。
今朝は、そう結論にして止めようとすると、
なんとなくオモロいことに気づいた気がして、
こうして長々書いてます^^;

匂いってのはワタシたちの目には見えないけど、
匂いの物質が空中を舞ってるわけで、
そいつが鼻ん中の嗅細胞が感知して信号を脳に送って、
匂いってのを知覚するって機序。
すんごいリアルな仕組みだけど、
匂いで米を食う。
ってのには、「想像」ってのが働いてるなと。
本当に匂いだけで飯が食えるかって言えば、
きっとそうではなくて、
その匂いを発している「おかず」を想像をしてて、
それを口に運んで米を入れるというリアルな経験による行為が
匂いによって想像できるから食えるんじゃないかと。
鯖の味噌煮であれば、
味噌、砂糖、鯖、しょうが、そんなのが混じった匂いによって、
(ミソニー!!)
って愛着が蘇って、リアルなミソニは目の前にいないのに、
あたかも目の前にいるように想像ができるから、
米が食える。

昨日はですね、
どんなに美味くても無限には食えないよなってことで、
楽しみは有限だな。
って納めたんです。
時間にも限りがある。
楽しいことだけがずっと続くわけじゃない。
って。

で、今日はですね、
想像ってのは無限だなと。
匂いだけで米が食える想像力があるなら、
苗を植えて稲穂を収穫して、
精米して研いで炊いてって
米のありがたみとかってのを想像できたら、
お茶碗一杯の米は食えないかもだけど、
一口ならきっと、
(んまいわ。)
って思えるなと。
これは、ありがたみの想像ですけど、
想像だったらいろんなバリエーションがある。
無限だわ。
想像は無限だわ。
楽しみは無限だなって。
思えて。

生命に与えられた時間は残酷なくらいに限りがあるけど
生きてる間の楽しみの想像による「創造」ってやつには限りがない。

52歳のおっさんでも、
60.70.80.90.100歳でも、
40.30.20.10歳でも、

人間は、
有限で、
無限だ。


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