見出し画像

全か無かの法則

生理学で神経を学んでると、
「全か無かの法則」
ってのが出てくるんです。

生理学はぶっとい教科書を1年生の時に1年かけて、
わーーっとやるんですけど、
やったんですけど、
その学びは
(わーー!!!!)
って人体の生理【せいり】に感嘆させてくれたりして、
面白かったりで好きな授業だったんですけど、
教科書のある章の入り口での一歩目でひねって挫いちゃったりすると、
 
(わーー。。。。)
って言葉失うくらいに整理【せいり】がつかないまんまに授業は進んでって、
期末試験の間際に
(わーーーー)
って正理【しょうり】を欠いたゴロ合わせでもって一夜で脳みそに貼りつけたりして、
なんとなく平均点以上の成績は取ってきたものの、
どっかで理解が出来てない。
みたいな1年生だったのを思い出すんですけど、

3年生では、
同じ教科書は使うものの、
「生理学特講」って科目に変身しててるのは、
そこに今までで学んできた別の科目の
解剖とか病理学なんかを織り交ぜて、
生理学の「復習」ってのをしつつ、
科目を横断して人体を理解していこうぜ。
だから、
「特講」なんだぜ。
って感じの3年生の生理学なわけです。

そこで、
「全か無かの法則」
2度目なわけです。
お会いするの。

1年生の時、
「第10章 神経」
ってところの入り口でワタシですね、
ひねって挫いたってより、
ひねったら完全に折れた。
骨折です^^;
もう全然チンプンカンプンなっちゃったんです。
教科書を何度読み込んでも、
全然意味がわからない。
(これ、、呪文??)
(てか、、いじわる??)
って思った記憶がある。
授業中に変な汗が出てきたのもよく覚えてます。
そこに、
全か無かの法則
って出てくるんですけど、
なんか、もう、理解できないんです。
(殺すか殺されるかの法則?)
(仁義なき戦い??)
とかって授業中に白目剥いて遊んでた気がします。
入院して治療した方が良いレベルの骨折(^^)

それは、
治ってんだか治ってないんだかの
3年生の今。

なんかですね。
理解できるんです。
わかるんです。
広島で起きた暴力団の抗争の物語ではなく、
人体に起きているノンフィクション、
神経がどうやって刺激に反応するかの物語がわかる。
面白いんです。

パクチーとか意味が全くわからなかったのが、
今は、
わかる。
パクチーってやつの意味がわかるようになった。
(こんな葉っぱの意味なんかわかる必要がない。)
って思ってやつの意のある味がわかるようになった。
なんなら、
パクチーを欲する自分がいることに気づいて驚いたりしつつ、
欲してる自分が嬉しかったりする
あれです。
あれってなんだ?って話ですが、
パクチーっす。
や、
全か無かの法則
のことっす。


神経が興奮して仕事をするには、
閾値【いきち】というある一定の
電位のラインがあって、
その電位に満たない刺激には、
反応しないんです。
神経というやつは。
チラチラチラチラやってもその閾値を超えなきゃ反応はしない。
だから、
無。
で、その閾値なるラインをチラッとでも超えようもんなら、
その神経をさらにチラチラチラチラッと刺激を加えてっても、
それはもう変わらないのよ。
だから、もう、
全。
って話なわけです。

あんまり面白くはないでしょうが^^;
ワタシに起きたのは、
わかる。
ってのが面白いというやつ。

まさに
「全か無かの法則」
なんですよね。
1年生の時にはチラチラやってたけど、
わかるってとこまでの刺激にはなってなかった。
3年生になって、
いろんな学びをしてきたってことも含めて、
チラッとした刺激は確実に閾値を超えた。
だから、
わかった。

最近
(わーー!!!)
って感嘆するような学びは無くなりました。
その代わりに
(わーー。。。)
って挫いちゃって足を引きずるようなことも無くなって、
(わーーーー)
っと慌てて塗りたくるような勉強の仕方もすることはない。

閾値を超える。
という理解の興奮の刺激が神経を
伝導【でんどう】して、
また次の学びという名の次の新しい神経に
伝達【でんたつ】する。
それで、
身体は動く。
生きてるんです。
神経、
やります。

「骨折した箇所は強くなる。」
って、
本当なのかどうなのか?
神経の章でひねって挫いたワタシはそう信じたいところがありますが、
生理学としてはどうなんだろう?
こんな、
わからないは、
新たな理解による
わかる
を生み出すか。

わかる

わからない
かの
法則。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?