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一日一日を大切に: 死の影から見出す日常の奇跡

昨日は発作が起きなかったことに、今日も朝を迎えられたことに、昨日は発作が起きなかったこと、そしてまた一日生きながらえたことに感謝

はじまり


しめっぽいはじまりに引いた人もいるかもしれませんが、突然死というものは誰にでもあるのです。そう考えると今話した家族との会話が最後になるかもしれませんよ。

だとしたら、再び朝を迎え、隣でスヤスヤ眠る家族の顔が見られたことは本当に軌跡なのかもしれません。

ちなみに、昨日は家族でパソコンゲームをして昼寝をしてダラダラ過ごし、夜はお風呂にも入らず寝てしまいました。

神様がいたらこれのどこが毎日を大切に生きてるんだと言われそうですが妻も子供もたまの休みぐらいダラダラしたいという2人の本音に触れる貴重な機会です。

人の悩み

私のそばに死神がいます。たぶん。でも、それが人が経験する悩みの中でもっとも大きく、重い悩みかと言えばそうでもありません。

明日のテストが悩みの人もいますし、明日のプレゼンが悩みの人もいます。

死という話題を聞いてこの人本当にお気の毒と思う必要はないのです。なぜなら死が身近になってはじめて見えてきたものもあるから。

毎日を気持ちよく

場所を限らず自分の持ち物を何かを落とした時、拾ってもらったらみなさんなんていいますか?「すいません」と言ってる人は多くないですか?

その「すいません」は拾ってくれてありがとうの意味なのですが、脳は謝罪したととらえるのです。

だから、「ありがとう」が正解です。よくポジティブな言葉を使おうと言いますがこういうところに現れているんです。

一日一回でも多く「ありがとう」そうすると自然と気分がいいものです。

死からそういう気持ちを気持ちよく過ごすことを学びました。

あっ、ここでもう死にますはそもそものこの手記のテーマにそぐわないですね。

結論

正確には命って1つで、毎日が最後かもしれないと考えると一日を気持ちよく過ごそうと思える。そういうことです。


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