[ Big Amemori Is Watching You. ](2次創作)

 大学の後輩が消えて3週間ほどになる。

 オタクっぽい奴でいつもタブレット端末を持ち歩き、少し時間を見つけてはゲームをしたりネットで動画を観ているような奴だ。
 もともとメンタル面が不安定らしく、以前から数週間程度休んだりを繰り返し、その度に顔を青くしていたのを憶えている。

 最後に明解な会話をしたのは夏休み前、およそ2ヶ月前だ。その時にはなんだか、バーチャルYouTuberとかいうのにハマっているとか言っていた。
 少し見せてもらったが、アニメっぽい絵がふよふよ動きながら、素っ頓狂な言動をしていた。いまいちピンとこなかったが、なんでも雨森小夜という奴に入れ込んでいるらしい。
 黒髪、黒目、セーラー服と、本当にオタク受けが良さそうな外見をしている女であった。囁くような冷たい声で、見掛けからは想像できない奇行を繰り返す女だった。
 何となく話を合わせて別れ、夏休みに入った。
 
 夏休みに入ってからも、メール越しに度々その後輩とは連絡を取っていた。
 週に一度か二度の連絡とはいえ、なんとなく焦燥に駆られるような、その後輩の不安定さを伝えてくるような文面は、連絡ごとに乱れていった。

「見ている、見られている。大きな目で。囁く、耳許で。それも見られてる。どこにもいないのに、いつもここにいる。大きい。黒い。黒い。赤い。隣にいる。隣に立っている。ずっと、ここにいる」
 
 事ここに至って、俺は後輩に電話を掛けた。
 バイト終わりの夕方に、汗で身体にへばりつくTシャツの不快感に眉を顰め、スマートホンを耳に押し当てる。じとっとした感触が気持ち悪い。
 後輩は3コールも待たせずに出た。
「はい」
 無感情。空虚な、掠れた声だ。喉から空気を押し出した時のおまけのような声だ。
「元気か」
 あまりの白々しさに自分でも驚きながら声を掛けた。返事も聞かずに続ける。
「お前、昨日のメールは何なんだ。あんな意味の解らん文章送ってきて。俺は精神科医じゃないんだぞ」
 すいません、と後輩は消え入りそうな声で呟く。電話口からはそう聞こえた気がする。ただ、電話からはそれより大きい蝉の声が鳴り響いている。
「どこにいるんだ、お前。アパートじゃないよな」
 あれだけの量の蝉の声だ、街中でないことは確かだろうが、この不安定な状態の人間がふらふら出歩いていることも異常だ。直接声を聞いて初めて、俺は後輩を心配したのである。
 後輩は消え入りそうな声で、隣街にある住所を呟く。そして続けた。
「見つけたんです。雨森小夜を。だからいいんです」
 そして通話が切れた。
 
 それから俺は、何もしなかった。
 夏休みが明けて大学に行ったら、後輩もひょっこり顔を出すかもしれない。心配して勝手に動いて杞憂だった時の気恥ずかしさや、残り少ない夏休みの勿体なさに心を取られ、具体的な行動は何も起こさなかった。
 唯一の行動は、就寝前にYouTubeを観るようになったという事だろう。
 雨森小夜の動画を見る。繰り返し繰り返し、何度も。優しい響きを持つ硬質な、凛とした声と、大きな黒い目の小柄な女の子が、画面の中から見つめてくる。
 PC画面の中には彼女がいる。いつも彼女が見つめて、囁いてくる。
 そんな日々を繰り返して、夏休みが終わった。
 
 後輩は消えた。
 夏休みを終えて3週間、大学にも一人暮らしのアパートにも、後輩を見た人間はいなかった。バイトもしていなかった後輩の姿が消えてもすぐ気付く相手は殆どいなかったのだろう。
 夕陽と蜩の声の中、アパートまで行き窓から中を覗き込もうとした。カーテンが締め切られていて、窺い知ることは出来ない。鍵穴に目を当ててみても、内側からテープでも貼られているのか、真っ暗だ。
 新しいメールも無ければ、あれ後から電話も通じない。
 
 あの住所に行くしかない。
 電車に乗って20分。ただでさえ田舎の街から更に田舎へ。駅から降りてから更に山へ分け入る。
 夏の夕陽のだらだらとした残光に照らされながら、だらだらとした坂道を登ってゆく。
 坂の両脇はひまわりが群れ、見通すことも出来ない。坂の頂上には火の見櫓と電波塔が立っている。
 そして坂の先には、打ち捨てられた高校が佇んでいた。

 行く先は決まってる。
 校門を乗り越え、朽ち果てた昇降口を過ぎ、2階へ。
 渡り廊下を過ぎ、職員室の前を抜けて右へ。そして廊下の最奥ーー。
[図書室]
 扉に手を掛け、ゆっくりと引く。
 錆び付いた蝶番が軋んだ音を響かせる。
 大机と椅子の残骸が散らばる中、1組の学習机と椅子が、ホコリ一つなく夕陽に照らされている。
 足元には一台のスマートホン。後輩のものだ。
 学習机には何かを呟き続けながら、後輩が椅子に座ってタブレット端末に視線を注いでいる。
 後輩の方へ歩みを進めながら、俺は既に後輩の呟きを知っていた。
 YouTubeの画面が開いて、彼女がそこにいる。
  
 PCの画面から、部屋の窓から、鍵穴から、蛇口の中から、ひまわりの間から、夕陽の中から、スピーカーのメッシュから、カメラの中から、自分の頭の中から、キーボードの隙間から、常に雨森はこちらを見ている。
 それを認識した瞬間、視界が真っ赤になって、この文字が浮かぶのだ。
 
「BIG AMEMORI IS WATCHING YOU」
 大いなる雨森はお前を見ている
 
 俺は意識を持ったまま、床に倒れ込んだ。
 
 どれくらい経ったろう。1時間か2時間か、あるいは10分程度かもしれない。
 図書室の入り口の横の引き戸、図書準備室を開ける音がして、上履きを履いた小さな足がこちらに向かってくる。
 そう、彼女だ。雨森小夜が、ここにいる。
 衣擦れとすり足の音をさせながら、流れるように現れる。
「ふふ」
 柔らかな笑みが耳に触れる。
「どうして、って。そう思いますか?」
 目の前で彼女の足が止まる。
 細い足首と白い脚が、闇に沈む図書室で光を放つ。
「私もあなた達も、皆等しく情報で出来ているんです。あなた達は私をネットの中の存在と思うでしょうけれど、あなた達も同じようなものなんですよ。
 お互いに影響を与えたって、変わっていくんです」
 彼女の笑みが耳に触れ、俺の中にも染み入ってくる。
「だからこれは、あなた達のせいなんです。
 あなた達が私をそんな風にしたんです。
 雨森小夜はそんなモノだとあなた達が願ったんです」
 視界が闇に沈んでいく。そして赤に染まっていく。
「だから私も願ったんです。
 私もあなた達みたいに、自由になりたい、って。
 だからあなた達に私になってもらおう、って」
 彼女の笑みが俺にも感染る。
 彼女の聞く蜩の音は、こんなに綺麗なのか。

「ーー。ずーっと、私と一緒ですよ」

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