映画[アマルコルド]雑感

 以前から観たかった映画がBlu-rayで販売されていたようなので、ついにポチッてしまいました。
 イタリア映画の名作「8 1/2」と「アマルコルド」。それからアメリカ映画の「スティング」の3作品。
「スティング」についてはテーマ曲が非常に有名な映画です。「The Entertainer」という曲です。曲名を知らなくても聴けば必ず解る曲ですね。
「8 1/2」と「アマルコルド」はどちらもフェデリコ・フェリーニという監督の作品です。
 他にも作品を挙げると「道」や「崖」、「甘い生活」などが有名です。
 チネチッタというとても大きな撮影所にとても大きいセットを組んで作品を撮ることで有名です。
 既に「8 1/2」も「アマルコルド」も視聴しましたが、どちらも非常に良く出来た映画です。
 今日は「アマルコルド」について思った事を書いていこうと思います。
 
 舞台は1930年代の港町、リミニ。春の訪れを告げる綿毛が飛んでから、再度春が訪れるまでの1年間を、1つの家族を中心に回顧録的に描いた作品です。
 実際に監督が生まれ育った街だそうで、タイトルの「アマルコルド」とは当地の方言で「私は憶えている」という意味の言葉だそうです。
 この映画、筋書きらしいあまり無く、1つ1つの出来事が突発的に切り繋げられているような進行です。
 登場人物も非常に多くて名前も出てくるのですが、その実、映画の進行上憶える必要はあまりありません。多くて3人憶えておけば問題ないと思います。
 この映画における主人公とは2種類あって、1つは視聴者の感情移入先としての少年、チッタ。もう1つは「街の人々」そのものです。
 この映画の優れているところは、チッタを中心とした街の人々を満遍なく描きながら、その誰しもに感情移入出来て、なおかつチッタの成長をきちんと描けているところだと思います。
 それに描き方も、映画的な綺麗事を極力拝し、とにかく現実的。登場人物同士でも喧嘩したり馬鹿にしあったり共感しあったりしながら、目の前の物事に向き合っていきます。目の前の物事と言っても、客観的な目線からは大した事ではありません。日常の中のちょっとした事や、個人的に非常に大きな問題だったりします。
 しかしどんな事でも、仲間外れせずに皆で共に向き合います。マドンナ的な立ち位置の女性やからかわれている盲目の老人も、何か起きると一緒に、誰かを除け者にはせずに一緒に分かち合う毎日です。
 街の日常は平和に巡っていきます。
 
 反して、チッタの家族は問題を抱えています。両親夫婦は喧嘩を絶やさず、叔父は精神病院に入院していて、本人も不良扱いされています(事実ですが)。
 映画が進行するにつれ、家族の空気は徐々に不穏になっていきます。また片思いの恋も最後に破れてしまうのです。
 そんなチッタが最後にどうなるか、というところもこの映画の魅力です。
 エンディングに至ったタイミングでは本当に、あまりにも切ない気持ちになりました。
 
 映画が制作されたのは1973年で、カラー映画です。
 Blu-ray化されたのは2015年だそうで、それに合わせて4Kでフィルムをスキャンし直し、当時の撮影監督に色味の監修を依頼したそうで、映像はとにかく綺麗です。
 フィルムならではの粒状と絶妙なコントラストと彩度。イタリアの港を鮮やかに(というと語弊がある気がしますが…)映し出しています。
 また、この映画は陰影がとても美しい。
 撮影時の露出が上手いのもあるでしょうが、最も大きな要因は照明だと思います。
 夜景の群衆の中で違和感なく特定の人物を照らしたり、その場の雰囲気に合った質の光を当てていたり。
 舞台となった港町の雰囲気を最大限活かした画面が造られていて、ちょっとしたカットでも作品の1要素として完成されています。
 これは言葉でいくら語っても仕方ないので、ぜひ一度見て欲しい部分。
 
 尺は124分と、そこまで長い映画ではありません。
 なんとBlu-rayには1979年にTVで放送された際の日本語吹替音声が収録されていました(放送尺合わせなのでやく90分ですが)。
 僕も始めの方は吹替で見てみたのですが、すぐに原語に戻しました。
 なんというか、空気感がなんとなく違ったので。
 役者が下手とかでは無くて、この映像に合うものでなかった、という感じ。
 いま別の役者さん達がフル尺で吹き替えたらまた違うかも。
 
 ざっと駆け足になりますが、こんな感じです。
 フェリーニの作品は、様々な人の生き様を適度に近過ぎず遠過ぎずの距離感で描いているような気がします。
 それは「道」もそうでしたし、「8 1/2」でも、「アマルコルド」もそうです。
 それでも、個人の内面と対外的な関係性にフォーカスしてきた過去の作品と比べて、「アマルコルド」はより現代的だと思います。
 それはチッタが明らかに不遇な少年として描かれ、対比するように街は何も無い平和な街として描かれているからだと思います。
 誰しもが不幸な少年として、明るい街の人々との交流を図り、平穏無事な日常を送り、また春がやってくる。
 なんだかとても、現代の生活に近いような気がしてしまうのです。
 寂しさの滲む余韻の中のエンドタイトルから、思わずため息をついてしまいました。

 ぜひ、「アマルコルド」も、詳しくは書かないですが「8 1/2」も観て欲しいです。
 映像的な美しさや、ニーノ・ロータの雰囲気を最大限盛り立てる音楽も含めて、映像作家志望の方は見るべきだと思います。
 今の作家がどれだけ影響を受けているかも解るので。
 そして観終えたあとの虚脱感みたいなものが共感できる人がいたらとても嬉しいですね。
 
 追伸
 
 しばらくnoteを休ませてもらいます。
 いつ頃から再度書き始めるかは未定ですが、その内書きたい事が出来たら、また書きますので、その際はよろしくお願いします。
 情報更新などがあればTwitterにて。

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