Dustcell [ LAZY ] 雑感

 以前「Heaven and Hell」の雑感を書いたと思うのですが、今日は遡って「LAZY」の雑感を書こうと思います。
 大雑把に概要的な部分を書かせて頂くと、Dustcellとしては3曲目、2020年1月2日に公開された楽曲です。
 電子音主体で爽やか、華やかなメロディベースにダウナーな歌詞と、ある意味で醒めた歌声が非常にマッチした曲です。
 主人公である「あたし」がゲームをして過ごす怠惰な日々そ送るというのが主たる流れ。
 まぁいろいろと思った事を書かせていただこうと思います。
 
 なんとなくですが、Dustcellさんの楽曲は主として様々な「生き方」をモチーフとしているような気がしています。
 生き方の方針を表明しているような感じ。
「LAZY」以前の2曲もそのイメージはあったのですが、この曲でそれがより鮮明に歌い上げられたような。
 あっさり爽やかな曲調に、額面通りに捉えればダウナーな歌詞と、力強さを押し出さない歌い方で、スッと心に入り込んでは強烈に印象付けていくような曲です。
 
 歌詞を読んでいくと、歌の主人公はかなり積極的にこの生き方を選び続けているのが解ります。
 積極的というより、意固地になっているという印象も受けるような口ぶりなのが難しい所ですが。
 当事者的な感覚としては終わりの無い時間をひたすらゲームをして過ごす。
 これ、ふいに立ち止まって振り返ってしまうと、とんでもなく怖いと思うのですよね。
 休みの日を無為に過ごして、その日の夜に焦る感覚、あれの強烈なやつです。
 だからこそ歌のラストでは「限られた時間はすぐに消える」と歌われている訳で。
 それでも彼女はこの生活を選び続けている訳です。
 きっと良くも悪くも、彼女は真面目なんでしょうね。
 それでも独りはなんとなく嫌なので、「ほんとの幸せを今この場所であたしと君で創造しよう」であったり、ゲーム内の友人A、Bが一緒にいる。
 
 これは本当に妄想の域ではあるのですが、この歌で「ゲーム」として処理されているのは、本当はゲームでは無いのではないかと思っています。
 他人からは「遊び」として切り捨てられてしまうものに、彼女は本気で取り組んでいるのだと思うのです。
 それに没入する日々を重ねて、セーブを先送りにして、他者とズレる感覚を忘れずにメモして繋がりを保つような生活。
 例えば歌だったり、絵だったり、物書きだったり、およそ創作的な趣味というのは、理解の無い相手からは本当に遊び扱いされて終わったりもありますから。
 それに打ち込み続ける日々はきっと他人からしたら「なにもせずに遊んでいる怠惰な生活」ですからね。
 そう言われ続ける事を考えたら、なかなかの不安とストレスだと思う訳です。
 なんだか開き直ったような歌詞と歌い方だとなんとなく思ったのですが、個人的にはそう考えて一方的に納得できました。
 それでも彼女の隣には「君」がいてくれてて、いてくれる事そのものに甘えている様は非常に可愛らしいと思います。
「君は休憩しててもいいよ。隣でずっと見守る役をして」というメロディの優しい響きはそれだけで聴く価値があると思ってしまうくらいでした。
 
 妄想も含めた内容的な部分はこれくらいにして、映像的な部分を少し。
 前作と同じように、楽曲はアニメーション付きのMVとしてアップされています。
 定点カメラ的な視点で、時間を問わず部屋で生活する主人公の生活を経時的に描いていきます。
 部屋の内装なんかの、趣味趣向が出る部分の小道具もしっかり作られていて、飽きさせない映像になっています。
 あっさりとした色使いとシンプルな描き込みで、曲調とマッチしたアニメーションで、単体で観ても良いクオリティです。

 現在までに公開された楽曲の中でも、この曲の雰囲気は他とは少し違う気がします。
 きっとこの曲は明るさの中の無為さを歌ってるからだと思いますが。
 日々に意味を見出すのって、きっと思うより難しいのかもしれないですね。
 
 まとまりの無い文章ではありますが、雑感を書かせていただきました。
 ぜひ色々な人に聴いてみて欲しいと思います。

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