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最低だ……俺って。

 ——恋愛観:恋愛に関する考え方を指す語。恋愛とはこういうものだという一般論や、こういう恋愛がしたいという理想論などを意味することが多い——

 自分の恋愛観を考えてみるとき、やはり初めて恋らしきものをした時のことから振り返ってみた方が良いのだろうか。物心ついて、記憶に残っている初恋は小学生時代。思い浮かぶのは担任のS先生と、Mさんという女子のことだろう。

 もっとも保育園に通っている頃から、もっぱら一緒に遊ぶのは女子であり、ごっこ遊びや人形遊びが好きな子どもだったと思う。一緒にいる女子のことを特別に意識したことはなかったが、なぜだかMさんとは結婚したいと漠然と考えていたように思う。と同時に、担任のS先生に抱きしめられたい……結婚してお嫁さんになりたい、とも考えていたものだから、なかなかに自分の中の混沌に振り回されてそんな感情を直視しようとせず、自分が誰を好きなのか、自分の性自認?性的指向?なんて考えたくもなかったし、考えようともしなかった様に思う。

 そんななかで、そういった所属欲求だけでなく、性的な萌芽も迎えることとなり、小学6年生くらいには、チン毛が生えてきたぞー!みたいな感じでみんなにチンチンを見せて回るようなちょっと性的に早熟な男子に対して、好意とは別に性的欲求を抱くようになり、その頃オナニーについての話題も男子の中では出回っていたから、なんとなくそいつのことを考えていたらチンチンが硬くなってしまい、触っているうちにおしっこ漏れちゃう!となって初めて射精したのである。「最低だ……俺って。」

 その後中学時代はと言うと、小学5年生までかけ算九九が出来なかったくらいに勉強嫌いだったのに反して、ちょっと好きだったKくんとTくんが塾に行くというので一緒に地元の個人塾に入り、割とひたすらに勉強にハマってしまったので、あまり恋愛とか、中学生らしい部活、青春…なんて記憶はあまりなく、ただただ性欲に支配された3年間だった。KくんやTくんと遊んでいる時にはとにかくチンコが欲しくて無理矢理襲ってチンコを触っていたりしたが、今考えるとヤバかったよね。チンコを見せてくれるイケメンくんや、チンコがデカいと噂の男の子や、学生ジャージの股間が強調されているような巨根くん(多分)のことが気になって気になって(チンコばっかりやないか!)毎晩代わる代わるそいつらに犯される妄想をしながら猿のようにシコる毎日だった。そんな毎日に恋愛だなんて文字はなかったよ。「最低だ……俺って。」

 そんな性欲に支配された生活の中でも、少しずつ、やっぱり自分は同性にしか惹かれないし、やりたいとも思わないことに気づいてはいたけれど、なんとなく見ないふりをしていたんだ。そんなこんなで地元の高校に行くのも危ぶまれるほどの少年は、なぜだか人口4千人くらいの田舎町を飛び出して、200万人くらいの人が住む都会に飛び出してきてしまったのだ。と同時に男子校で、寮生活という私のホモライフの契機となる高校生活が始まったのだ。

 都会での高校生活は兎にも角にも刺激的だった。遊ぶところはいくらだってあるし、かっこ良い服が買える店もたくさんある。そして最高の男子たちに囲まれているのである。ハーレムである。自分の中にある男子高校生に対する絶対的な価値はこのころ形成されたんだろう。楽しくないわけはなかった。ついには私は勉強をすることを忘れてしまい、一気に堕落したのだった。

 田舎のヤンキーっぽいボス的キャラのMくん、おしゃれで音楽が大好きで巨根でかっこ良いYくん、そして地元から同じ高校に進学したTくん、毛深くて村上春樹が大好きな変態Kくん、アメフト部のマッチョなIくんとRくん。肌が浅黒くて陸上部で腋臭(最高!)のAくん、家が水産会社のヤンチャなGくん、市内出身のガチムチKと、初めての男相手のキス相手となってくれたMくん……他にもいたけど、とにかく彼らのことが大好きだった。付き合いたかった。ヤりたかった。……でもそれって、自分がゲイだって認めることでもあった。好きだって伝えることで迫害される危険性があることも理解していた。まともじゃない自分が嫌いで受け入れられなくて、近くの女子校の女の子と付き合おうとしたこともあったけど、キスをしても何の感情も沸かなかった。毎日一緒に生活する男の子に抱くような色んな気持ちが生じなかった。自分がゲイであることはもう否定できない抗えない事実なんだと思った。

 そんなこんなで、自分は好きな人にどんどん好きだって言った。付き合いたいって言った。ヤりたいって言った。今考えるとこんなに向こう見ずで怖いものなしな自分っていなかったな。それによって拒絶されることも、それによって勝手に傷ついて死にたくなることもたくさんあった。だけど真っ直ぐな気持ちには真っ直ぐな気持ちで答えてくれる人もいたよ。だからこそ好きになったんだろうけどさ。ずっとずっとそばにいて大好きなきみを見つめてたい…と恋い焦がれたものの、まぁ皆さん異性愛者なので、付き合うということには至らなかったけどね。それでも普通に友達として付き合ってくれたり(振りをしてくれたり)、性的に私を活用してくれる人たちがいたんだ。思えば私が精液フェチの豚野郎になってしまったのも、この頃の原体験()があるからなのだろうな。「最低だ……俺って。」

 まぁそんな感じでいっぱいミルクを飲んで大きくスクスクと育った私という戦うホモは、でもそんな中から自分の恋愛観の卵みたいなもの、「他人から必要とされる」という価値を恋愛観に内包し、それを重要に考えるようになった。他人から必要とされることは、同時にこれまで全くといって育ってこなかった自尊感情や自己肯定感の「ようなもの」を満たし、育ててくれる気がしたから。まぁ、それは勘違いだって気づくのは、まだまだ先の話だけどね。

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