壊れゆく心と体(ゲイと仕事 #2)
「つれづれつづり第三回:仕事」の2話です。
1話:就職活動〜新入社員時代(2004年前後)
2話:20代中盤〜後半(2005年〜2011年頃)
3話:30代〜現在(2011年〜現在)
20代中盤〜後半(2005年〜2011年頃)
社会人生活は充実していたものの、ゲイとしては枯れていた20代前半。
社会人になってから3年も経つと、仕事の方もこなれてきて、時間的にも精神的にも余裕が出てきた。
そうなってくると、やはり出会いを探したくなるもの。
世間ではmixiからTwitterへの移行が進み、iPhone3Gが発売されてGrindrなどのゲイマッチングアプリも登場したり、出会いやコミュニケーションの手段も多様化してきた頃。
ご多分のゲイに漏れず僕もガラケーからiPhoneへと移行し、「すごい時代になったもんだな」とパラダイムシフトに胸を踊らせていた。
そういったツールを利用しで出会いを探してみたものの、冴えない自分はやはり鳴かず飛ばず。
それでも趣味が合う友達は少しずつ増えはじめ、音楽が好きだったこともあり、二丁目でDJをするような機会に恵まれ、ゲイコミュニティでの居場所をやっと見つけることがきた。そして29歳にしてはじめて、きちんとお付き合いをする彼氏もできた。
(このあたりの顛末はつれづれつづり第一回「平成」でも綴っていますので、よければ御覧ください)
プライベートについて満たされてきた反面、仕事については少しずつ暗雲が立ち込めてきていた。
当時は大手のSIer企業でSEとして働いており、20代後半ともなると中堅。担当する案件も難易度が高かったり、炎上必須の物が増えてくる。
僕が担当していた案件の中でも、ずっと炎上が続いている案件がひとつあった。もともと導入実績がない製品を、あたかも実績があるように営業が売ってきた案件。当然トラブルだらけで、しかも導入当初の他の担当SEは離れ、自分ひとりですべてを対応する必要があった。
残業時間はひどい時で月100時間超えが半年ほど続いた。平日は遅くまで働き、週末もどちらかは出社。たまの休日でもトラブルがあれば会社携帯が鳴る。電話が鳴っていないのに鞄の中で震えているような気がして、心が休まらない日々が続いた。
今になって思うと、責任感が強い性格が災いして「自分がなんとかしなければ」「もし自分がいなくなったら崩壊する」という考えに縛られて、会社を休んだり辞めるといった発想が出てこなかったのかもしれない。
さらに恐ろしいことに、「いっそ病気や事故にでも遭った方が楽かもしれない」と、今の状況から解放してくれる救いを外部に求めてしまう。
一度だけ、朝オフィスに向かう途中の交差点で、「このまま停まらずに歩いて車にはなられたらどうなるんだろう」と一歩踏み出したところで我に返ってぞっとしたことがある。
その案件がやっと落ち着いた頃、今度は東日本大震災が日本を襲った。
今まで感じたことがないような長くて大きい揺れに驚き、オフィスでニュースの映像を見て、この世のものとは思えない惨状に言葉を失い、ひっきりなしに続く余震に怯えながら、電車が動き出す朝を待って帰った。
Twitter上ではデマや心無い言葉が飛び交いギスギスし、コンビニやスーパーからは食料品が消え、被災地ではない東京でも大きな混乱が起きていた。
そんな状況でも、仕事は容赦なく続く。
緊急地震速報が電車の中で鳴り響くのが当たり前の状況で出社し、輪番停電の話が出てサーバーをどうするかなどの前代未聞の対応に追われる。先の読めない状況がひたすらに続く日々。
激務と震災のストレスからか、この頃から体にも異常が出はじめた。
発作的に乾いた咳が出て、酷い時にはえづいて吐きそうになる。
電車に乗っていても数駅進んでは降りて、ホーム脇でえづいて、また電車に乗る。自由にトイレに駆け込めない空間だと、その不安から余計に発作が出やすくなる。映画館、ライブハウス、それまで楽しみだった空間がすべて苦痛に変わってしまった。
いろいろな医者を回って診察してもらい、最終的に心療内科で「軽度の適応障害」と診断され、抗不安剤を処方されるようになった。
薬のおかげでなんとか仕事も続けられ、少しずつ元の日常生活を送れるようになってきた。
彼氏の存在も大きな心の支えだったように思う。もしこの時に独り身だったら乗り越えられていなかったんじゃないかと、今でも振り返るとぞっとする。
発作が少し落ち着いてきてから、会社や仕事について改めて考え、「この会社でずっと働くことはできない」という結論に至り、29歳にしてはじめての転職を決意した。
なかなかにブラックな会社だったので、転職の際の引き留めもあまりにも理不尽だった。
「今まで会社に育ててもらった恩義を感じていないのか」
「どこに転職するか聞くまで、退職届は受理しない」
「有給消化なんて認める訳ないだろう」
それまでも会社の倫理観を疑う出来事が多かったけれども、最後の最後まで酷い仕打ちだった。人事との退職面談の内容をこっそり録音して、転職エージェントに相談したこともある。
この時も今になって思えば労基署に持っていくなりSNSで炎上させるなり、やり方はいくらでもあったのに、いかんせん外の世界を知らなかったせいで、いろいろと無駄に心労を重ねた気がする。
一方で転職活動はスムーズに進み、次は大手企業とは真逆のベンチャー企業に転職することになった。
長い引き留め交渉もやっと決着し、心と体が完全に壊れてしまう前に、僕はなんとか闇の中から這い出ることができた。
もしこの話を読んでくれている方の中に、同じように心や体に異常をきたしているほど仕事に追い詰められている方がいたら、ぜひ一刻も早く心療内科を受診してほしい。そしてストレスの原因となっている環境から逃げ出すことは決して恥ではないということを知ってほしい。
心と体が壊れてしまった後から復帰するのは本当に辛く長い戦いになるので、そうなる前に予兆が出たら無視せずに慎重に自分と向き合ってほしい。
「自分ひとりいなくなっても、世界も社会も何事もなかったかのように回り続ける」
そう思えるようになってから、僕はすっと肩の荷が下りた気がします。
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