つれづれつづり_仕事3

光の方へ(ゲイと仕事 #3)

「つれづれつづり第三回:仕事」の3話。
早いもので最終話です。

1話:就職活動〜新入社員時代(2004年前後)
2話:20代中盤〜後半(2005年〜2011年頃)
3話:30代〜現在(2011年〜現在

20代最後の歳で一念発起して初の転職。
しかも従業員数2000人以上の大企業から一転して、100人もいないくらいのベンチャー企業へ。
転職してすぐに、あまりのカルチャーギャップに良い意味で驚いた。
メールではなくチャットがメインでコミュニケーションがスムーズに進み、稟議や企画を通すための根回しや政治も不要で論理的かつスムーズな意思決定、ほとんどの情報がオープンにされている風通しの良い風土。
前職で無駄に苦労していたような非生産的な文化はまったくなく、とても合理的に物事が進む。
逆にベンチャーならではの苦労もあり、とにかく人手が足りないので今までの仕事以上に業務分掌を越えた様々な仕事が降ってくることもあるけれど、それすらも「良い経験になる」と楽しめていた。

前職のストレスから一気に解放され、水を得た魚のように仕事を楽しむ日々。大手よりもベンチャーの方が、圧倒的に自分の性質に向いていたのかもしれない。
セクシャリティの面でも、気苦労は随分と減った。
前職では飲み会の度に「男は結婚して家庭を持ってこそ一人前」「社内で気になる女はいないのか」など、家父長制を信じてやまない30〜50代の上司たちから、LGBTには面倒な話を振られることもあったけれど、そういった話題もほとんどなくなった。
一方ベンチャーでは、社員自体の平均年齢が若く、20代〜30代がほとんどということもあるけれど、それ以上にマイノリティに対する理解も進んでいる人たちが多かった。トランスジェンダーをオープンにしている新卒が入社したり、社内システムから「性別(男or女)」の項目を削除したり、LGBTアライの研修を取り入れたり、最終的には同性パートナーでも配偶者と同等の福利厚生を認められる制度までできたらしい。(それは自分が退職した後だったけれども)

そんなLGBTフレンドリーな環境ではあったものの、自分は結局その会社では本当に仲の良かった数名にカミングアウトしただけで、社内ではゲイであることをオープンにはしていなかった。
それは単純に「仕事をする上でセクシャリティを言い訳にしたくない」「自分の希少価値を上げるためにセクシャリティを使いたくない」というプライドのようなものと、わざわざ積極的にゲイであることを公言することで色眼鏡で見られたくないという気持ちが強かったからだと思う。マイノリティに配慮が足りない言動で余計なストレスを感じることが少ない環境で働けるだけでも十分ありがたかった。

ベンチャー企業で働く楽しさを知ってから、ますます仕事へのめり込むようになった。といってもワーカホリックになった訳ではない。年俸制になったことで残業代目当ての余計な仕事も減り、残業も月に2〜30時間というホワイトな状況で安定して働けるようになった。
いかに効率よく仕事をするか、そのためにどんな知識やノウハウが必要か、思考の解像度と視座を高めることに意識が向くようになった。読書などの自己研鑽の大切なも理解できるようになった。
それまではただ与えられた大量の仕事をこなしたり、辛い環境に耐えたり、ある種の自己憐憫的に「頑張った」つもりになっていたけれど、それは大きな間違いだと気付けたのは本当に大きい。
また、仕事で満たされる承認欲求というものは非常に健全で、なぜならそこに「賃金」という絶対的な価値をもつ報酬と市場価値が付随するから。それによって生活の基盤もメンタルも安定する。
自撮りをアップして「いいね!」の数を稼ぐような刹那的な承認欲求に比べ、遥かに長期的に価値のある欲求だと思う。

最初に入社したベンチャー企業では5年間努め、その後もベンチャー企業を中心に今も働いている。
生活の基盤が安定すると、まさにマズローの5段階欲求の通り、承認欲求から自己実現欲求へとモチベーションの源泉が変化していく。
生涯を添い遂げるであろうパートナーもできた。
マンションも買った。
でもゲイだから子供は残せない。
子供を残せないなら、名前を残してやる。
ここ数年で、それが人生の目標へと変わった。

「ひとつの会社に依存するのではなく、自分の市場価値を高めて、複数の会社で活躍できる人材になりたい」という想いもあり、自分が今まで働いて身につけた知見を共有すべく、他社の同職種の人たちのコミュニティに参加し、積極的に活動を始めた。
仕事関係のblogをはじめてアウトプットしたり、いろんなイベントに参加したり、登壇したり。やればやるほど手応えを感じ、さらに新しいことや面白いことへのチャレンジの機会が舞い込んでくる。
よく「引き寄せの法則」という言葉を聞いて眉唾のように感じていたが、そんなことはなかった。一歩踏み出すだけで世界は大きく開けるし、逆に一歩踏み出せなければ何も見える景色は変わらない。

僕にはひとつ大きな野望があって、「業界の中で大きく名を馳せた後に、カミングアウトをしてみよう」と考えている。
LGBTに対する差別や悲劇が起きる要因の多くは、「想像力と認知の欠如」だと思う。身近な信頼できる人にLGBT当事者がいるだけで、そういう悲劇が起きる可能性は一気に下がるに違いない。
なので僕は、もっと多くの人に知られ、信頼され、それなりの存在感を持つ存在になったら、ゲイであることを公表して、少しでも多くの人に認知されるように役立ちたい。それが僕なりのゲイリブだと思っている。

なんだか意識高い系みたいなことをつらつらと書いてしまったけれど、自分がそんな志を持つような人間になるだなんて、数年前までは思ってもみなかった。むしろそんな人たちを、「自分とは違う世界の人間だ」と冷笑するような人間だったと思う。
でもそのまま自分よりも上の人たちを羨んだり妬んだりしていても、そこからは何も産まれないし、その場所から先には行けない。
辛いことも沢山あるけれども、少しずつ壁を這い登って行けばいい。
光が眩しすぎる時は少し目をつぶったり、疲れた時は休み休みでも構わない。
いつまでも暗いクローゼットの中でうずくまっていても、世界は変わらない。
だから一歩ずつでも、光の方へ。



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