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過去のこの日(カミングアウト)

最近Facebookを観ていると,『過去のこの日』という部分で,いらぬPTSDのようなものまで表示されてくる。今となってはカミングアウト出来る位まで回復はしていると思っているのだが,今に至るまでは大分長い道のりだったと思っている。


まずは,元嫁との新婚旅行の投稿が毎日のように掲載されている。そちらを離婚でいると分かるはずもないAI(人工知能)が情も無いAIが表示させる。これは苦笑いのレベルだが,ここからが自分としては思い出したくも無い部分。でもいくら忘れようとしても《無意識》は記憶しているので,こちらからは逃げたくないし,社会問題としてこれからも認知して貰いたいと思っている為,こちらであえて言葉に残すことにした。



まずは,2012年(平成24年)6月24日に,地元の会場で『性犯罪被害者の声を聴いてください』という名の講演会が行われた。私は1人で参加しに行くことになる。こちらで講演なされた大藪さんと,アーティストのぱんさん。凄く記憶に蘇ってきた。私は,自身の事と向き合う為にあえて1人で参加してみたくなった。既に過去に鬱病を経験していたので,少しでも向き合うことで強くなりたいという思いがあったからだ。


私は男性な為,女性に興味がないということは全く無いが,この日の話を聴いていくうちに,私は男性だから女性の方が間違いなく傷を負うし,きっと私が言っているのは小さな事なのだろうと,そんな事を感じたと思う。それから,こちらの会場で売っていた本を2冊。ぱんさんのCDを1枚購入して学ぶことにした。



今年同日放送クローズアップ現代(NHK)で,『男性の性被害』に関しての特集が行われた。正直,やっと今になって注目されるようになってきたのかなと言う思いが強い。全国で260人の訴えということで放送されていたが,私のようなアンケートに答えていない人数も含めるとさらに多いことが検討がつく。



私は,小学4年の頃に性被害に遭っている。相手は2個上の少年野球(リトルリーグ)の先輩。子供の頃,プロ野球の選手を夢見ていた私。そんな中で辞めることに関しては考えていなかった。しかし,他人とのコミュニケーションに関しては苦手だった。私が小学校だったのは30年以上前。その頃は,話すことが出来る少数の友達と話をすると,その人とは引き離されて,練習に集中させるという論理が当たり前の時代だった。


私が性被害に遭ったのは,リトルリーグの練習時間では無く,育成会(子供会)活動の祭りで叩く「太鼓」の時間だった。太鼓を叩いて町内を歩く。私はそういった事で1日居なければいけないのが苦痛で,練習にも参加したくない思いは強かったが,何処か親の顔を潰してはいけないという思いと,一回だけは参加しなさいと親に言われていたのもあって,この日は参加することになる。


シンタロウという奴が居た。コイツは2歳年上で,何かにつけ私の睾丸を握りつぶしてくる。これはコミュニケーションの一部なのだろうが,私以外の人にも頻繁に行っている。周囲には大人が見ているのに,誰一人注意出来る人がいない。そして,当時は「NOを言うことに極端な恐怖」を覚えて貰っていた私は,まんまとシンタロウに性被害に遭わされたのだ。


私には弟が居て,その弟を一度だけ守ろうとして,もうひとり2歳上のジャイアンと呼ばれていた先輩から目をつけられた事がある。その先輩からとはさみ撃ちに合うような形で,私を殴って来る。片方が抑えてもう片方が殴ってくる。この時に親御さんもいたのだが一切見て見ぬ振り。もうこんな事をされるのが嫌だったので,取引のような形で,性被害を受けることになる。


シンタロウの陰部を見せられ,私の陰部を出させ,何故か陰部同士をつけられた。シンタロウの陰部は勃起していた。私は屈辱的な経験をしていることは小学生の自分でも理解は出来る。誰にも相談が出来ない問題を一つ抱えることになった。

※後にこのシンタロウは他県に転校することになる。そしてこのシンタロウは10年後に自死したという情報も入ってきた。みんなは深刻になっている中,私はホッとしたのを覚えている。ただ,直接やっつけることが出来なかった自分の弱さに対しての情けなさは今でも残っている。



私は大きな認知の歪みと長年付き合うようになった。自分がされた事を女性にさせたのでは「もっと傷がつく」そんな事を強く強く刷り込まれた私は,女性との距離感が分からない状態を経験するようになった。女性の気持ちも大分偏るようになった。


一番最初に思ったのが「私のような弱い人間が女性を好きになってはいけない」。
次に思ったのが「女性の身体には当時興味はあっても,心に傷を負わせることは出来ない。だから近寄らない方が良い」と思い,それからが同級生の女性に関しては,ふざけて話はしたとしても,私からは敬語であり,決して迷惑を掛けたくない。そんな思いで忘れ物をしたとしても借りる事が出来なかった生徒だった。



まさか30年経過した今でも影響を受けているとは思わなかった。前の嫁さんにもセックスレスを理由(他2点)に,慰謝料請求を受けた。この時も正直メンタルが壊れそうだったが,この件に関しても大分カウンセリングで向き合ってきた。気持ちが続かないし,その事で私が勃起不全(ED)になってしまったのでは無いかと真剣に思ってきた。正直,情けなくて笑ってしまうが,EDが理由でも自死を考えたこともあった。


小学校の時に一緒だったリトルリーグの友人にカミングアウトしても,「あいつ確かにおかしかったからな。チョウチョをずっと追いかけたりしていたし」と共感をして貰ってホッとはしたが,私の認知には影響が無かったような気がしている。



30代は辛かったが,40歳を経過して,少しずつキャリアプランも変更してくる年齢にもなってきたのも影響してか,少しずつラクにはなってきた。結婚に関してのイメージも「子育てしてみたい」から「子育てを諦めようかな」と考えも変化してきたようにも思う。



昨年は,別部署の同性の4歳上のMからの身体を触られるセクハラ,そして先輩としての恫喝としてのパワハラを経験することになる。私はどうしても逃げたくなかったので,十分に準備をして上司に相談することにした。でも,相談できたのは被害を受けた7ヶ月後である。


その事に関しては,私も前では,主任は共感して貰えて有り難いと思ったが,係長は「お前の気持ちは分かったけど,お前の名前も隠して方が良いんだろうし,相手のことも潰してはいけないから,上にはあげないから俺に預けて欲しい」と言われた。私は「上にあげて貰えないですか?名前が分かっても良いです」と強く主張する事が出来た。


結局,上にあげないと言いながら上にあげたみたいで,課長からはまた聞きで,「あいつはメンタル弱いんだな」と言われたという。正直,非HSPなんで仕方ないのだろう。この課長自体がコミュニケーションを身体障ることだと思っているようなので,見ていて不快になる。



色々と考えがグラグラ影響を受けているが,この番組で取り上げられていたのが,私にとって嬉しかった。自分の中でも意識では忘れてしまっているようでも,《無意識》ではしっかり記憶している。無かったようにしても意味が無い事を物語っている。


良かったら,こちらの番組で語られている事が私の過去にあったことだ。勿論,今は佐々木先生に診て貰っているので,多少のことでは影響を受けないと思っているので,あえて向き合うことにしてきた。ただ,太宰治の『人間失格』ではないが,もうひとりの自分が語りかけてくる時がたまにある。


また,話せるような機会があれば,話をしてみたいと思う。


https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/episode/te/KV2KZJ2QNQ/

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