安心感 安全感

昨日の講演会,私の中では凄く大きな講演会になりました。
こちらに関しては,また次回以降の投稿に纏めていこうと思っていますが,私の中で考え方に影響を及ぼす会になったんじゃないかなと思います。
まずは『安心感』『安全感』を今以上に提供出来る自分になること。
これは,交流会に限定したことでは無く,普段から私の中で雰囲気を少しでも与えられるような人間になりたいと思いました。

今日は偶然,地元のコンビニで,子どもに大声で怒鳴りつけているお母さんが居たんですね。
1人の子を抱っこして,1人の子がお腹に宿っているようで,そして小さな女の子が,ちょろちょろしちゃうことが我慢できなかったんでしょう。
大声で怒鳴りつけている中,私は買い物を済ませました。
こういった時に,どうして良いものか分からなくなりますよね。
まるで,私が叔父から受けている叱責の印象とダブってしまって,凄く複雑な気持ちにもなり,店員さんに一言言いたくもなったし,対応して貰えないのなら,自分で目の前で警察を呼びたいような心境にもなりました。
勿論,口だけで呼べなかったことに関して,これが小さな女の子に対して,良かったのかどうか,その事が気になって気になって…。
でも,それでもきっとママが一番良いんでしょうね。
取り上げたら可哀想だし。
でも,なんでママが怒鳴るのかが分からない。
そんな心境になったんですね。
私が親になった事がないからと弱気にもなりまして…。

私自身は,牙を抜いたライオンのように見られているようで,
私の必要なものは「怖さ」というのをよく言われるんですね。
そして怖さを出せないのは「強さ」がないからんだとも認識をしています。
それはこれからの私の発達課題だと思っています。
でも,今回何にも出来なかったのが悔しくて,自分を責めたくもなりました。
女の子にとっての『安心感』『安全感』の確保の為に,護身の為にライオンの牙というのは凄く重要な事だと思います。
それを考えさせられました。

きっと,その事をしっかり考えるように,このシチュエーションを観せられたようにも思っています。
『駄目なものは駄目』という壁として止める為のフレーズなんですよね。
そんな事を学ばされました。

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