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ニコニコ大百科・恵帝(劉盈)の項目を作成しました。

漢の二代目皇帝となる恵帝(劉盈)は、『史記』では本紀が立てられていないですが、漢王朝の歴史上において節目となる人物です。『漢書』では本紀が立てられ、その政策についても多くの研究がなされています。

劉邦が見抜いた通り、恵帝は精神や意思が弱い人物でしたが、自分の地位をおびやかした兄弟や戚夫人を守ろうとした、陰惨な話の多い、中国史の政治の世界において、人間性を輝かせた人物です。

内容としては寂しい部分が多い恵帝ですが、後世の史書を読めば読むほど、恵帝の示した慈悲深い人間性は貴いものであったことが分かります。

概要について

恵帝に関する事績は『史記』や『漢書』のあちこちに散らばっていたため、それを集める形で記しています。

恵帝が母を助けて草取りをしていた話は、よくある劉邦の将来を予測する作り話である英雄譚に過ぎないことと、兄である劉肥の存在を強調しました。

また、余り知られていない彭城の戦いにおいて、王陵によって助けられた話を書き、劉邦によって馬車から落とされた話、学説によって、太子に立てられたのは伯父の呂沢の存在による可能性が高いことを記しています。

恵帝の太子の地位は、劉邦が先祖からではなく、直接的に天命をくだされた天子であるという概念で皇帝に即位したため、かなり不安定なものでした。

恵帝に対する父である劉邦の愛情は薄いこと、恵帝が守ろうとした劉肥・劉如意は実は自分の太子の地位をおびやかすライバルであることも述べています。

しかし、群臣からの支持は、どういう背景があれ、恵帝へのものが圧倒的で、劉如意を太子にするように勧めた臣下を存在しません。

恵帝の即位後は、恵帝の政策について記し、戚夫人の事件が起きてからも、劉肥を守り、自分の意思を示し、恵帝が完全に政務を放棄したのではないことも記しています。

恵帝の家系はその後の政変で絶えますが、漢書では高い評価であること、蕭何や曹参は彼のもとで名宰相として輝いた、ライバルであったはずの兄弟を守ろうとした優しい人間性のことも記しています。

ただ、恵帝が審食其を罰しようとした事件は時期が不明なため、省略しています。

付録について

付録の「四晧」は謎が多い四晧について分かる範囲で書いています。やはり、詳細は分からないようです。司馬光の言う通り、作り話である側面も強いかもです。

「張皇后」は恵帝の后であり、姉の子である張氏について記載しています。これは、恵帝死後の後日談を兼ねています。

付記した人物について

付記した人物は、劉肥(りゅうひ)、劉如意、劉恢(りゅうかい)、劉友(りゅうゆう)、劉長(りゅうちょう)、劉建(りゅうけん)の恵帝の兄弟六人です。

恵帝の兄弟は、この六人以外では文帝しかおらず、劉如意、劉恢、劉友、劉建は呂雉のよって排除され、劉肥も殺害されそうになりました。

劉肥は呂雉と、富農での生活と、人質時代を共有したにも関わらず、さほど仲は良くなかったのでしょうか? 継母と連れ子の関係ではありえるかもしれません。

劉如意は『西京雑記』に記された話を書きました。

劉長は、呂雉からの寵愛を受けた数少ない劉邦の子です。学説での研究がありますので、その内容を反映しています。

関連書籍

関連書籍としては、恵帝と劉長の研究として詳細な、楯身智志『前漢国家構造の研究』を挙げています。高価な書籍ですが、優れた研究です。

主な出典と参考とした書籍

『史記』項羽本紀・高祖本紀・呂太后本紀・孝文本紀・秦楚之際月表・漢興以来諸侯年表・漢興以来将相名臣年表・外戚世家・斉悼恵王世家・蕭相国世家・曹相国世家・留侯世家・陳丞相世家・樊酈滕灌列伝・張丞相列伝・劉敬叔孫通列伝・淮南衡山列伝・佞幸列伝
『漢書』恵帝紀・高后紀・高五王伝・蕭何曹参伝・張陳王周伝・樊酈滕灌傅靳周伝・張周趙任申屠伝・淮南衡山済北王伝
『西京雑記』
楯身智志『前漢国家構造の研究』 (早稲田大学学術叢書)
郭茵『呂太后期の権力構造 ―前漢初期「諸呂の乱」を手がかりに』(九州大学出版会)

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