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ニコニコ大百科・李左車の項目を作成しました。

ニコニコ大百科・李左車の項目を作成しました。

李左車は、史書においては記述が少ない人物ですが、故事成語になる言葉を多く残し、知名度は高く、創作でも人気がある人物です。

また、死後も雹神として、祀られた人物でもあります。

概要について

本文としては、怪しげとはいえ、『新唐書』宰相世系表から分かる李牧の子孫説、趙郡李氏の先祖説の根拠を示しました。

また、井陘の戦いの時に、劉邦が実は趙の南側にうかがっていたこと、韓信が井陘に入らなければ、李左車の策が成功しないという指摘を背景として追加しています。

また、李左車の残した格言である「智者も千慮に一失あり。愚者も千慮に必ず一得あり」、「智者も千慮に一失あり。愚者も千慮に必ず一得あり」、「兵は固より聲(こえ)を先にして實(じつ)を後にする者(こと)有り」は言葉とともに、翻訳として残しています。

意外ですが、最後の言葉も出典は分からないようです。

また、百度百科や中国の地元のサイトに書かれた、李左車のその後について代表的な民間伝承と思われるものを記し、これについては、リンクをYahoo知恵袋も含めて張った上で、紹介しています。付録の「雹神(はくしん)・李左車」も同様です。

付録について

付録の「李左車たちの兵法」はかなりの自信作です。李左車が登場する前後で、李左車・陳余・韓信・漢軍の諸将たちが発言した兵法の出典について全てを明らかにした書籍は確認した限り存在しません。そこで、私なりに全て調べ、その出典となる兵法の内容や『孫子』の兵法に関する思想について、解説しました。

特に、『孫子』の考えでは、「敵に攻め入った方が兵士が決死の覚悟を決めて強く、守りの方が兵士が逃亡するため不利」という思想があり、これが世間一般の常識である「守備は地の利があるため有利」と違うことを指摘しています。

付記した人物について

付記した人物は、呂馬童(りょばどう)、王翳(おうせん)、呂勝(りょしょう)、楊武(ようぶ)、楊喜(ようき)、李必(りひつ)、高邑(こうゆう)の七人です。

韓信や韓信の部下であった灌嬰の部下にあたった人物で、李左車と関係があったと推測できるため、付記しています。前の五名は項羽の死骸を奪い取ったことで知られています。五人ともは灌嬰配下の騎兵を率いる武将ですが、呂馬童・呂勝・楊喜は関中(秦)の出身、王翳・楊武は楚の領土であった下邳の出身とバラバラになっています。項羽の軍にも騎兵がいて、下邳は楚でも騎兵を育てていた場所であったのかもしれません。

李必は、灌嬰の副将であった人物で、李信・李広との血縁関係があるのではないかと推測できる人物です。高邑も韓信の配下で、河を渡るための支援で活躍したと推測できます。

創作と関連書籍

創作では、李左車の活躍や人物が特徴的な『通俗漢楚軍談』や司馬遼太郎『項羽と劉邦』を挙げ、関連書籍としては、李左車が愛読したと思われる『孫子』に関する優れた書籍として、浅野裕一『孫子』講談社学術文庫、浅野裕一『「孫子」を読む』講談社現代新書を挙げています。

主な出典と参考とした書籍及びネット記事

『史記』項羽本紀・高祖本紀・高祖功臣侯者年表・張耳陳余列伝・淮陰侯列伝・樊酈滕灌列伝
『漢書』芸文志
『新唐書』宰相世系表
『孫子』
『六韜』

浅野裕一『孫子』講談社学術文庫
浅野裕一『「孫子」を読む』講談社現代新書

百度百科「李左車」

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