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癌でガーンと来た。

シャレにならない、オヤジギャグなのだ。多分、僕が癌になれば、知人のカメラマンのトクナガさんが如何にも言いそうな、本人の前で言ってはいけない部類のオヤジギャグなのだ。こんなギャグは言ったらダメと思えば思うほどつい口にするもので、言ったあと本人は「イャ、冗談、冗談上段の構え」とか言い、お茶を濁すのだろうが、そんな事を言いそうな本人がマジに癌になっってしまった。こんなオヤジギャグはトクナガさんが言うから面白いのであって僕が放ってもシラケるだけだから何も言わない。

トクナガさんとの付き合いはもう30年にもなるか。すでに70歳だぜトクナガさん。最初会った時は30過ぎて、すでに髪の毛が真っ白。本人曰く高校まで黒髪だったのに、鹿児島の工業高校出て関東の原発の会社で働いているうちに髪の毛が白になったそうだ。「あんなところ、長居はするもんじゃないです、死にますから、とっととやめて郷里の鹿児島に帰り、昔から関心のあったカメラマンになりました」と語ったが、あんなところがどんなところかは、詳しく話してはくれなかった。

頼んだ仕事は零細広告会社で働く僕が受け持つ、健康食品の会社の会報誌の写真の仕事だった。彼は相手見境なく親父ギャグを飛ばし、そのおかげで僕の心臓は時に停まりそうになった。社長室に通され、撮影が終わり一息ついて、機嫌のよい社長さんにカメラ談義を始め、もともと緊張すると、吃音になりがちなトクナガさんは社長をまえに「社長のボケ、ボケ、ボケ…」と繰り返し言い出し、普段は温厚な社長の口元の笑みが消え「ボケ」と言われるたびに顔色が変わるのを見て、もう限界と思った時に「レンズの焦点が社長の顔に合い、顔の立体感を出すために焦点距離を調整し、周りの景色をぼかすことで良い写真が撮れるわけ」で…その周りの景色の「ボケ具合がカメラマンの腕の見せどころでして」身振り手振りで熱演するトクナガさんの動きを見て、社長は「ボケ」の意味を理解しようやく笑いを取り戻したのだが、さすがに僕の手の平には冷たい汗が残った。

そういう付き合いの繰り返し今まで来たけど、ここ数年はトクナガさんは緑内障となり、いよいよ、カメラマンの仕事はしにくくなった。それからは「ピンとさえ合えば何とかなります」が口癖になり、僕は仕事上「何とかならない写真」もあると、若手のフリーのカメラマンに仕事を頼むようになった。

ある時、真顔で僕に聞いてきたことがあり、「私の悪口を言いふらす奴がいて、誰だろうと思っているんです」と相談を受けたことがあった。「機材は一流だけど腕は二流と、言いふらしている奴がいるようなんです」「そりゃ、いかんですね、そりゃ、言い過ぎだわ」と一緒にその誰かに向かいトクナガさんと僕は呪いの言葉をかけたのだが、今になって、その悪い奴とは僕だったかもしれない。

緑内障で目の調子が悪く、ピントが合わないので他のカメラマンの何倍もシャッターを切るトクナガさん。「ピントさえ合えば何とかなります!」(お客さんの前でも!)と豪語するカメラマンのトクナガさんに、たまにはと頼んだ仕事が、ある漢方薬局の社長の某勲章の受賞記念食事会の記念撮影だった。漢方薬局の社長も半分認知症におかされた曲者で、なかなか他のカメラマンには頼めない事情があった。食事会が始まり、優雅で滑るようなバイオリンの調べの横で繰り返し、関係者が入れ替わりその社長の素晴らしい業績をほめちぎるくだらない儀式なのだ。薬が効いているのかその社長は上機嫌だが、実の性格は気難しく、ちょっとしたことでも激高することがあり、その点だけは注意が必要だった。その「生の舞台」で正面切った戦いを挑んだのがトクナガさんで、そんなに写真を撮らなくていいという指示を無視して、ピントが気になる彼は車いすの上で仏さんのような笑みを浮かべる社長ににじり寄り、カメラで迫ったのだった。

カメラをいじったことのある人は分かるか、カメラにピントが来たら電子音で知らせる機能が付いているものがある。ピンと合わせに苦労するトクナガさんはその機能を充分に活用した。バイオリンの生演奏がうるさく集中できないらしく、カメラの音量を最大に調整したらしい。ピントが合うたびに遠巻きで診ている僕の耳にも「ピッ、ピピッ」と言う電子音が聞こえる。そして「ピッ、ピッ」と言う音が近づく事に気が付き、その漢方薬の社長の表情が曇り始める。彼の前にはしゃがんでカメラを構えるカメラマンの姿が迫る。トクナガさんがこっちを見た時に僕は大きく手を振り、こっちに帰って来い!と合図をする。僕のハウス!と言うふりを見てトクナガさんは指先でOKと言うマークを作り笑顔で返す。これ以上近づいたらダメだ。その社長との距離は数メートル。そんなにシャッター切らなくていい、もう充分なんだ、もうだめだ、逃げようと、あきらめかけた時に、司会者が演奏を終えたバイオリンの奏者の紹介をはじめ、会場の空気が変わり、みんなは一斉に拍手した。僕は大きく、もう一度帰って来て!と手を振り、トクナガさんを呼び戻した。

最後はみんなで集合写真を撮り、拡大し額に入れ漢方薬局の事務所に届けに行った。事務所の前にはベンツのスポーツカーが停められてた。社長はその額を見て上機嫌だったが、突然僕に「君はベンツに乗ったことがあるか?と聞きだした。「いゃ、そんな、ベンツとか関心ないです」と言うと、「ヤナセはけしからん、ハンドルやらなにやら、ほとんどが英語で書いてある、僕のような年寄りが分かるはずはない」と怒り出した。現金で買ったがもう運転方法も分からんからその金返せと電話した」と言い、真顔で「君、ベンツいらんか?」と耳元でささやいた。適当にお茶を濁し「そりゃぁ、けしからんです、ヤナセ」と言い、僕は逃げるように会社に帰り、しばらくしてその黒いベンツは無くなり、その持ち主は認知症の施設に入院し、そのまま帰らぬ人になった。

今年、もう一緒に仕事するのも最後かもしれんと、トクナガさんに仕事の電話をしたのだが、彼から帰ってきた返事が「ガンマ何とかの数値が400超えで、即、入院になりました。胆管癌のおそれがあり、近々、手術になりました。申し訳ないですが、撮影の仕事は受けられないです」と力なく答えた。

ここで立場が逆なら、彼が放つ言葉は「癌でガーン」と言うところなのだろうが、そんなオヤジギャグは「僕には胃炎…言えん」

トクナガさんよ、あんた「済生会」で癌の手術受けて「ダイセイカイ」となりますように。ある渓谷の写真を撮り、今年の夏に個展を開くと言っていたけど、渓谷からこれ以上写真を撮るなと「警告」を受けたわけだ。

5月に2回、6月に内臓の本番の手術。家族以外、面会も出来ない。ピントさえ合えば、何とか、なるんだよ。何とかなるんだ。

いゃ、僕の数少ない友人のトクナガさん。僕らの余生はピントが合わなくなってきたんだな。

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