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舞台「宝飾時計」の感想/考察

同じ場面が何度となく繰り返され、
過去と現在も何度となく行き来する。

はじめて根本宗子さんの作品を観劇したけれど、強く心掴まれた。こんな不思議な舞台だったから、台本を見直してもよくわからない所や理解出来ない所が残ってはいるけれど、理解できないのがある意味ポイントなのかもしれない。

ゆりかの事務所名が子供の時と大人の時で変わってるとこや、1幕目で大小路と対面していたはずの勇大が2幕目でいなくなってたり、この辺は細かい性格だと自分でも思っちゃうけれど、勇大が失踪してしまった理由が特にわからずモヤモヤしている。

ゆりかの大事な楽屋履きを伸ばしてしまい、いてもたってもいられない気持ちになったからとあるけれど、そんな大した出来事じゃないのに、失踪しようとした勇大の気持ちは何だったんだろうか?
ただ、その後に何度か繰り返される、イマジナリー勇大とゆりかのやりとりで、靴がキツいから伸ばしてもらおうとする場面があることから、ゆりかはあれが失踪のきっかけになったと気付いており、だからこそあの行為が問題ない出来事だったと自分に言い聞かせてるよう、イマジナリー勇大に靴を伸ばしてもらうようにしていたようにも見える。ずっと身長が止まっていたのだから、靴のサイズも変わらずだったと考えられ、本当はキツくなかったのに勇大に履いてもらう行為を正当化したかったのではないだろうか。

そして子供の勇大がよくわからなければ、大人になった大小路も掴みどころのない人物だ。
ゆりかのことが好きだろうに、出会い直した頃の大小路は「好き」という感情を自分でも理解出来ていない様子が窺える。
特にゆりかの舞台を見て泣いてしまう場面。ゆりかには勇大であることを隠すために説明せず、別人のふりをしたのもあるだろうが、自分でも何故泣いているのか己の感情を理解出来ず説明出来なかったのでは、なんてことも考える。

1番好きなものを口にするのが恥ずかしかった勇大が「誰かには正直に言っておかないと、一生本当のこと言えない人間になるよ?」とゆりかに言う。
その後、失踪して19年間ゆりかのもとから姿を消すが、逃げ出す際「僕だってもっと単純に生きていたかったよ!!」といった発言があってから失踪し(世間的には自殺)、別人としてやり直そうとして大小路となった。
しかし、大小路としてゆりかのもとに戻ってくるまでの19年間、本当のことを言える相手を持てずに過ごしたため、自分自身でさえ好きという感情がよくわからない30歳になってしまう。
そのためパンフレットなどには、精神年齢が止まっているゆりかがメインに書かれていたが、実際は大小路の方が精神的成長に乏しかったのはと考える。

そんな大小路に対して、ゆりかは違う。
勇大と同じく、1番好きなものを口に出すことを恥ずかしく思っていたが、失踪した勇大のことが好きなあまり、イマジナリー勇大を作り出したことで、思うがままにお喋りをする相手を待つ。
ただしここで重要なのが、11歳のイマジナリーフレンドは11歳のまま成長しなければ、結局は他者との対話ではなく自己との対話でしかないことだ。
そういった意味では、ゆりかもまた大小路よりはマシなだけで、11歳からは抜け出せずにいたように思う。


舞台上で歌われた「青春の続き」についても考察したい。
ゆりかが19年間演じてきた舞台、バイオリンで世界を目指す9歳の少女が歌う歌として「青春の続き」がある訳だが、ゆりかの現実世界とリンクする所がかなり多く見られる。

 準備はいい? 行きますか
 毎晩燃えている
 世界まで炎上しているんでしょう
 乾燥しちゃわないように
 青々とした勇気と頓智を

基本的には大小路に対して声を届かせたいゆりかの思いが綴られる。
大小路としてやり直そうとしても、1番好きなものを口に出して向き合う勇気もなければ、子供の時と同じで大事なものを大事にすることが難しく(好きな人の靴を伸ばしてしまったり、貰った花を枯らしてしまったり)、ゆりかにどんなにお膳立てされても、頓智の効かない大小路は大事な思いを言葉に出来ず、上手く取り繕うことも出来ない。
そんな、大人になっても、別人のふりをしても、いつも本音が言えずに気を揉んで(心気を燃やして)、乾ききった心を持った大小路に対して、どうか青々とした心になるようにと望む。

 声が届いて欲しいんです
 そうたった一人
 貴方へは聞こえているんでしょう
 きっと思い出してしまう
 喧騒を引き返してしまう
 ねえ 外れ? 当てたいです

再会しても別人のふりをする大小路のために、気付いてることを伝えたくもうまく伝えきれないゆりか。
そんなゆりかの声が届きそうになると、己が捨てた勇大のことまで思い出して心騒めかせてしまいそうになり、言葉を濁し続ける大小路。

 「今どこですか 無事でいますか
 もう大丈夫ですか
 愛を覚えましたか」
 解きたい問題いつだって汪溢

そして1度目の失踪をした勇大に紡ぐ言葉は、訊きたいことで溢れている。
お互い他人のことを慮って、自分の思いを言えずに生きていたけれど、このままじゃダメだと失踪して自分のために生き始めようとした勇大に対して、自分のために生きることは出来るようになったか問いかける。

 なんだろうか?
 大人ってまあ逞しくもなるだろう
 しかし繊細さが
 だんだん増して行ってしまう
 しょっちゅう傷付いてしまう
 ねえ幼い? 熟れたいです

結局、大事なことは何も言い出さなかった大小路を相手に傷付いてしまうが、それは自分が幼いからだと思って、大人になれることを、傷付かない逞しさを願う。

 「誰かいいひとが共にいますか
 もう大丈夫ですか
 愛は与えましたか」
 訊けない命題いつだって核心

そして、2度目の失踪をした大小路を心配する声掛け。1度目に相対するような「愛は与えましたか」は、真理恵のように自分のために生きた後に、一緒にいて安心できる人と共に過ごし、その人のために生きることは出来ているのかの問いかけに思う。
だけど、そんなことは訊けない。大小路の愛が与えられるのが自分だと期待し続けているのに、核心に迫って与えられる先が他人だとわかってしまえば落胆してしまうから。

 動物好きと自負するあなた
 犬猫には笑い掛けるの何
 人間だって動物だから
 口も噤んで黙っているし
 懐いている者を受け容れて

ここは大小路と関のやり取りを思い出す。
空気の読めない、また名字を何度も呼び間違えるくらい適当な関には、ゆりかに見せない笑顔を見せる。
そして「懐く」という言葉を見ると、個人的にはいつも星の王子さまに出てくる狐の話を思い出してしまう。懐かせたものには懐かせた責任が伴うというものだ。だから、責任をとって私(ゆりか)を受け容れてよ、と。

 ねえ お願い 会いたいです
 「己自身のため生きるだけって
 もうしんどいの
 期待も落胆も知れている」
 溜め込んだ愛は過飽和中
 行き場のない危ういこの心身を
 強く深く重く組み敷いて押さえて
 陶酔させてほしい
 嗚呼 貴方を掴んでいられたら
 ずっと安心

そして、他人のために生きる性分のゆりかは、愛の向け先が失踪中のため、己自身のため生きざるを得ず、過飽和の末、もはや実体のあるイマジナリー勇大を作り出す。しかしイマジナリー勇大で満足いく訳はない。だけど本物は帰って来ないから、心身の成長を止めてまでもイマジナリー勇大でバランスを取ろうとする。
大小路のためだけに生きたいゆりかは、ただただ大小路を縋り求める。


結末としては、年老いたゆりかのものに大小路は戻ってきて愛を伝える。そしてゆりかは「私の考え続けていたことが、全て真実で良かった」と呟き亡くなる。
この「私の考え続けていたこと」が全くわからず、考え込んでしまった。
結局、考えた末の解釈は自身に愛と安心を与えてくれる相手が大小路であると考え続けていたことを指すのではないかと解釈した。
ストーリー全体を通して、各々の愛や安心についてのエピソードが出てくる。(関とプロデューサー滝本は除く)
勇大は自分の心の複雑さ(愛)を解消出来ず、安心を得ようとして失踪した。
真理恵は心許せる相手を見つけ(韓国の女優にハマってはいるが)、双子の子供たちと共に安心出来る場所を得た。
杏香は母親の偏った愛が注がれ続いた結果、拒否するのを諦め、妥協出来る範囲で受け入れ、引きこもることで安心を得た。
そして、年老いた大小路は複雑さをそれなりに解消し、偽らずにいられる安心を持ってゆりかに再会できた。
年老いたゆりかも亡くなる間際になって、ようやく愛も安心も手に入れることが出来る。


ここまで長々と書き連ねてしまって思うが、まだまだ書きたいことはあっても(真理恵の嗅覚の話や杏香と母親の関係性だとか、盆の回転方向のこととか)、随分と時間が掛かってしまった。そして、考えてることを上手く表現出来ないことが非常にもどかしい。
ついでに言うと「もどかしい」という言葉さえも、自分の中からすぐに出てこず「うずうず」で検索して、言いたい言葉を探し出してしまった。
ただ、それこそが複雑さを中々言葉に出来ない勇大であり、大小路なんだなと思う。
今暫くは「宝飾時計」にまだ浸っているけれど、いずれ熱りが冷めた頃、新しい舞台やミュージカルを観て、感想や考察を言葉にしようとした際に、
このもどかしさを感じて「宝飾時計」を思い出すのかもしれない。

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