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「兎、波を走る」 観劇記録

何を観てきたのか、うまく言葉に出来ない。
でも、兎に角すごいものを観てきた。

どうにか拙くも言葉にするならば、
「現実」と「妄想」が絡まったストーリーに翻弄されつつ、役者一人一人の演技に心動かされ、次第に気付かされたメインテーマに戸惑ってしまった。
観劇後、2時間くらい経った今、言葉に出来るのはその程度だ。
これから印象に残ってるシーンなどを思い出しながら、思ったことを言葉に表していきたい。



野田地図について


野田地図の存在はそれとなく知っていたけれど、今回の「兎、波を走る」が初観劇である。
過去の野田さんの作品を確認してみると、これまでも重たいテーマを取り扱って来られたことを知った。

『パンドラの鐘』→「長崎原爆」
『ロープ』→「ベトナム戦争」
『ザ・キャラクター』→「地下鉄サリン事件」
『エッグ』→「日本軍第七三一部隊による人体実験」
『フェイクスピア』→「日本航空123便墜落事故」
『Q』→「シベリア抑留」           等々

過去作のテーマも今回の作品のテーマも、私自身今まで表面しか触らずに、もはや表面すら知らずに生活してきていったものが殆どだ。それを、自分が受け入れやすい所から学べる、学びたくなるようにしてくれるのって本当に有難い。願わくば小学生高学年くらいの頃から野田さんの作品に出会っていたかった。そしたら人間としてもっと深く成長していたように思う。
そのくらい初観劇で野田地図にのめりこんでしまった。

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「兎、波を走る」のメインテーマ

今回のメインテーマは「拉致問題」だ。
「兎、波を走る」というタイトルは諺から取られたものとのことで、一般的な意味は以下の通りだ。

引用:https://kotowaza-dictionary.jp/k6911/

予習を殆どしていなかったとは言え、タイトルの諺の意味は調べていた。そして、舞台を観終わった今、この諺にある通り、拉致問題に対する私の意識は浅い段階にとどまっているのを強く感じた。
野田さん曰く、諺の意味はあまり関係ないというインタビュー記事を見たが、幕開け最初の白波に見立てた白縄を兎が渡る場面はタイトルに合っていたように思う。

メインテーマは「拉致問題」と思ったけれど、至る所に過去から現代において問題提起されやすいキーワードが散りばめられていた。

無痛分娩、ロシア、ドイツ、ユダヤ、成田空港問題(三里塚闘争)、仮想通貨、生成系AI、メタバース、、、

メインを除いて思い出せるのはこんなところ。
ここまで具体的かつ現実的な社会問題を組み入れて創作していくって、かなり大変なことだと思う。
特に拉致問題って自分の中ではどうしても身近じゃなくて、こうやって野田さんが舞台に落とし込んでくれるから意識を向けることが出来た。
完全にネタバレになるが、最後の方で高橋一生さん演じる兎の名前が「安明進(アン ミョンジン)」と分かる。
恥ずかしながら、観劇前にはその名を知らず、知っていればより一層衝撃を受けた作品になったと思う。
安明進さんは現実に存在しており、北朝鮮から脱走してきた元工作員の人だ。ただ、いま現在失踪しており既に暗殺された可能性もあるとされている。
もちろん参考にしているだけで、一生さんの役は奇びの国から逃げてきた兎であるし、ストーリーに合わせた脚色もあれば、野田さんの願いも込められたキャラクターになってると思う。

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演出・キャスト


演出で1番印象に残ってるのは一生さん演じる兎が松たか子さん演じるアリスの母から逃げ回るシーンだ。
舞台を抜け出し、舞台裏に逃げ回るシーンをビデオ映像にすることで臨場感が増し、空飛ぶシーンでは空を背景に、一生さんの映る部分だけを浮き立てるように別スクリーン(恐らく布)を用意し、それを人力で動かす場面はかなり立体的に見えて面白かった。

他にも多部未華子さん演じるアリスが穴に落ちるシーンを銀の輪をくぐっていくことで表してるのや、スローで動くことで緩急をつける演出も舞台に引き込まれてしまった。

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一生さん演じる兎は躍動感に溢れていて、兎という現実味のない役であっても、ちゃんと生きてる感じがした。幕開け最初のシーンから舞台にいるだけで、心引き寄せ湧き立たせる佇まい。
最初のうちはアリスの母から飄々と逃げ回っていた兎さんが、自身の名前が安明進であることを明かした辺りのシーンでは、身がすくみ、胸をざわめかせるような雰囲気に変わっており、どんな言葉だったのか忘れてしまったが、一生さんが発した一言で劇場の空気が変わったような感覚を味わうことが出来た。
出来ることならもう一度一生さんが主役の舞台、あわよくば歌う芝居も観てみたい。
兎の衣装もよく似合っていた。少し固さのありそうな生地で出来たシルエットが格好良くて、ズボンの裾のファスナーまでも格好良く見えた。フードを被っても良い感じに表情が見えるのも良かった。何より一生さんが格好良かった。(語彙力)

松さん演じるアリスの母は、娘の特徴や年齢を上手く説明出来ない、そんな普通だったら受け入れづらい不思議キャラなのに、松さんの演技力によるものなんだろう、気付いたら納得させられていた。
松さんのハイライトはアリスが拉致される回想シーンだと思う。舞台の端に座って無言で兎の話を聴く松さん。後ろではアリスが袋に詰められている。
客席の方に顔を向けたまま、表情を変えずに大粒の涙をポロポロと落とす松さんは子供を失ったことを自覚する痛々しい母親だった。
ただ、この前観劇した「ラ・マンチャの男」もだけど、舞台で演じる松さんよりもドラマで演じている松さんの方が自然な感じがあって、当てられる役にも寄るとは思うんだけど、出来ることならドラマを演じている時のような松さんの演技を舞台でもいつか観てみたい。

多部さん演じるアリスは可愛いくてちょっとパンクなドレスをしっかり着こなしていた。多部ちゃんって言いたくなる感じがあるため、今のご年齢はと調べてみたら34歳。自分よりも年上なのに何だろうこの可愛い感じ。アリスのキャラクターとしてはガッツリ可愛い系のキャラでは無いように思うんだけど、中学生の役と考えれば可愛く幼く見えるのも納得。少し高く優しい響きの声も影響してると思う。そこまで張り上げてる声じゃなくても、凄く聞き取りやすく通る発声をされていて舞台で観るのは初めてだったけど、ドラマで見かける時よりも良く感じてしまった。調べてみた時に知ったけれど、TVドラマの割合は多くても、舞台経験もそれなりにある方で「アニー」に憧れてデビューを目指していらしたと知って納得。今度は大人の役柄でも観てみたい。

秋山菜津子さん演じる元女優は作家達に対して高飛車っぽいのにイヤミな感じがしなくて、色んな役とのやりとりでどんどん出てくる言葉遊びネタを上手くいなしたり捌いていく感じが心地良かった。これまでも野田さんの舞台に多く出ていると知って、舞台をメインに活動してる女優さんかと思いきや、TVドラマでもそれなりに出演されてるようで名バイプレイヤーなのだと納得。
AIが作成したメタバース内の“もうそうするしかない国”から帰ってきた時のシーンは秀逸だった。お母さんと観たアリスの舞台を観たかったのに、戻ってきた時には何を観たかったのか忘れてしまったというシーン。
ただ、ただただ悲しい気持ちになった。

大倉孝二さんはドラマでも時折見たことあったけれど、あんなにコミカルな動きをされる方だとは知らなかった。舞台だからドラマよりも誇張してる所はあるだろうけれど、高い身長で長い手足が自由に動き回る感じがダンスを見てる訳じゃないのに目を惹かれた。

野田秀樹さんに関しては「ここら辺の人だけ特別ね」ってあぐらで飛び跳ねてくれたのが嬉しすぎたのと、舞台に現れてすぐの自己紹介が、自分の中では今回の舞台の中で1,2を争う言葉遊びネタ(「ベルト取るとブレる人」)だったから、その印象が強すぎている。舞台上でベルトを取るシーンがあったら良いのにと願ってしまった。
1,2を争うもう一つのネタは「東急半ズボン教官」。
くだらないんだけど、なんだか好き。

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舞台考察


舞台の幕開けは兎の言葉で始まる。

不条理の果てにある海峡を
兎が走って渡った
その夜は満月
大きな船の舳先が波を蹴散らし
数多白い兎に変わった
アリスの故郷から逃げていく船は
代わりに兎を故郷に向かって走らせた
僕はその兎の1羽
不条理の果てからアリスの故郷へ
取り返しのつかない渚の懐中時計を
お返しに上がりました

舞台開始時の兎の台詞

拉致問題がテーマだと知った今、アリスが拉致され、兎は脱走してきたことを話していると分かる。
ただ最後の「渚の懐中時計」が意味する所がうまく理解出来ているかわからずモヤモヤしている。
舞台上ではアリスが兎と一緒に時計をお酒のように飲んで大きくなったり小さくなったりするシーンや、アリスの母が兎と共に時計を飲み干すシーン、最後の方では改めて自身が持つ懐中時計を兎自身が飲み干すシーンもあった。
初見で覚えられるようなストーリーではなかったことから、どういう流れでそれぞれが時計を飲み干したのかわからなくなってしまったけれど、
多部未華子さんのインタビュー記事に以下のエピソードがあったので、私も「こんな感じかな」の理解度で楽しむこととしたい。

秋山さんが『野田さん本人もわからずに書いているところもあるから大丈夫よ』って言ってくれて、『じゃあいっか』って開き直れたりして (笑)

『anan』2023年6月21日号より

さて、話戻り「渚の懐中時計」が意味するものはなんだろうか。
現実問題で考えると、返すべきは拉致被害者だ。
懐中時計を時間として考えるならば、拉致によって失われた人生を表しているように思う。
劇中では工作員の訓練についても触れている。
そこでは人の痛みを感じなくなる訓練を受けることで、拉致に対する罪悪感を覚えづらくなり、“もう、そうするしかない”としか思えなくなる。
そういう意味では兎も「もう、そうするしかない国」=「奇びの国」の被害者とも言えると思う。
だからこそ直接的な被害者であるアリス、加害者として教育されてしまった兎、我が子との時間を奪われた母親それぞれ“拉致”によって失われた時間を「渚の懐中時計」として表現しているのではと考える。

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高橋一生さんが兎に見える人と人間に見える人。
これもよくわからなかった。
ジッと見れば兎には見えず、サッと見た時は兎に見えてしまうという。それを兎自身が「ジッと見れば兎なんかに見えなかったのに」と、兎に見えたことを否定するような言い回しをする。
これは拉致問題をサッとしか見ていないことに対する問題提起なのかとも考えてみたけれど、ジッと見たことで人間=工作員として理解出来る訳がないことを考えるとよくわからない。
そのため、今現在でも拉致問題が解決していないことを比喩しているのではとも考えてみた。
誰もが皆ジッと見て、きちんと向き合っていたならば、早期解決に至っていたんじゃないのかという問題提起なのかとも考えてみたが、なんだかしっくりこない。
色んな人の考察やインタビュー記事巡りをして、自らの考察を深めつつ、納得できる解釈を見つけたいと思う。

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