見出し画像

他人の子供にも愛を持って叱ること

先日、近所の子供たちとの関わりを通じて、自分の子でも他人の子供であっても、分け隔てなく愛を持って叱るって大事だとと感じた体験をしました。

近所の公園で息子と遊ぼうとしたら、親の同伴なしで小1と5歳の子がふたり公園で遊んでおり、その子たちも一緒に遊ぶことに。

私はその子たちの親御さんを知っていて、ちょっとやんちゃな感じで近寄りがたくあります。

幼い子供たちが親の同伴なしで公園に来ていることや、5歳の子が派手な色に髪を染めていることなど、いろいろ思うことがありましたが、今回そのことは置いておいて。

遊んでいる時に、最初は、5歳の子の髪の毛が染色されているため、「通りすがりの人に子供の髪を染めている非常識な親だと思われなくない」という気持ちが私の中にあって、距離を取りながら接している私がいました。

でも、その気持ちは子供たちと一緒に遊ぶうちに、子供たちのピュアさにより、変化していきました。

5歳の子は、「アリは踏んでも良いよね〜」と初めのうち笑っていました。私は、「アリさん、可哀想だから踏まないよ」と、動物もちゃんといのちがあって、いのちを粗末にしてはいけないよってことを伝えたくて、そんなことを思いながら会話していました。

遊び終わる頃には、「アリさん、踏まないように気をつけるね〜」にことばが変わっていました。

その子はブランコに乗りながらニコニコ、声高らかに歌を歌っていて、その様子がとっても可愛らしく、ニコニコ笑顔もまた、本当に楽しいのが伝わってくる。そんな笑顔とはうらはらに、途中「寝る時いつも(お兄ちゃんと)ふたりだけで悲しいの。」と話していて、胸がきゅっと詰まる気持ちになりました。

小1の男の子には、途中から参戦した私の夫が主に接していて、人のものを勝手に使うなど礼儀がなってないことなどいろいろあり、夫が厳しめに叱っている場面が何度かありました。

その子は、叱られたことにも反発せずにちゃんと素直に聞いていて、遊び終わる頃には「まだ遊びたい!また遊ぼう、明日は?」と、夫にすごく懐いていました。

子供って、例えどんな身なりをしていても、乱暴なことばを使っていたとしても、本当はものすごくピュアだと感じました。

そして今回、他人の子供に対して、ちゃんといけないことはいけない!と叱れる夫に、尊敬の気持ちを抱きました。そして改めて、大人側の在り方や環境で子供って大きく左右されることも痛感しました。他の人の家庭事情には首を突っ込めませんが、またどこかでばったり会ったら、ひとりの人として真っ直ぐ、自分の子供とか他人の子供とか関係なく、分け隔てず真心で接したい。そう思った出来事でした。

ここまで書いてみて。書くことで自分が相手に対して思っていた本当の気持ち、汚いものも温かいものも、たくさん出てきました。

この親子、本当にあり得ない、と思う気持ち。
通りすがりの人に、我が子だと思われたくない、自分を守りたくなる気持ち。
できればこの親子と関わりたくない気持ち。
息子と触れて欲しくない、息子に悪影響を与えないで欲しい気持ち。
見た目や上辺ではわからない、子供たちのピュアな心に触れた時の感動した気持ち。
寂しい想いを子供たちがしているなら、せめてこうして会った時は、できる限りの愛情を与えてあげたい気持ち。

短い時間にいろんな自分の感情が出てきて、この感情に向き合ってみると、汚い自分も温かみのある自分も、どの自分もいるんだと。それが悪いことではない。寧ろいろんな自分の気持ちに出会えて素晴らしいと感じました。

子供たちからたくさんのことを学んだ日でした。



 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?