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1000文字小説 野菜を売る男

けたたましく呼び鈴が鳴り続いた。まだ朝の6時。こんな時間に俺をベッドから引きずり起こす知人は最近できた記憶はない。おもむろに煙草に火を着けた。鬱屈とした空気にゆらり煙が立ち昇ってゆく。煙の奥の呼び鈴は鳴りやまず、次第に激しくドアを叩く音に変わる。
ドア向こうから野太い声がする。はっきりと苛立ちが含まれていた。俺の名前も住所もどうやらすでに承知のようだ。
「起きてんだろ。さっさと判子を押してくれよ」
 寝癖を掻きむしった後、仕方なくドアを開けてみた。早朝から近所迷惑だし長居されては二度寝もできない。
眼前には、うず高く積まれたダンボールの山とランニングシャツの中年男。誰なんだと思うが先に、玄関前に積み上げられたダンボールの山に慄いてしまった。
「やっとお目覚めか。朝寝坊は命取りだぜ」
「失礼ですが、人違いじゃないですか」
男が持ってきた伝票には、しっかり俺の個人情報。そして大量の野菜の発注書。野菜というのはもちろん、スーパーで売っている農産物のことだ。ピントが合わないまま野菜が届いたことはひとまず理解したが、受け取る理由はない。まず発注した覚えなど微塵もないのだ。
「なにかの間違いか悪戯か」
俺が言い終えるのを待たず男が遮った。
「仕方ねえ野郎だ。判子はまた次だ」
そうしてダンボールの山を置き去りにトラックは行ってしまったのだった。
「とっとと売っぱらうこったな。生ごみを捨てるにも金がかかる」
返品のため発注元の青果卸へ電話したが一向に繋がらない。このまま放置も苦情がくる。相談相手もいない。早朝から四方を塞がれ、大変なことになった。

2日間放置していると案の定、マンションの管理会社より撤去指示を受けた。日を追うごとに野菜の鮮度も下がってゆく。一時は全てを生ごみとして処分することも考えたが止めにした。何処で誰が見ているのかわからない。

管理会社に事情を説明して今回限りマンションの玄関先を借りて野菜の販売ができることになった。俺が八百屋なんて、と思うと妙な可笑しみがこみ上げるが、なぜこんな羽目になったかを考えるより、仕入れた20万を請求書される前に現金化するのが先だ。俺は売り込みに精を出した。

多少痛みかけた野菜は半値で売るなどして3日かかって野菜を完売させることができた。手元には21万弱残った。

3日で利益1万はともかくとして、野菜を全て売り切ったことに妙な達成感を覚え、夜はひとり自室で祝杯をした。これほど美味いビールを飲んだのは何年ぶりだろう。ビールが美味すぎて泥酔するまで飲み続けた。

朝6時。けたたましく呼び鈴が鳴り続いていた。次第に激しくドアを叩く音に変わる。ドアの向こうから野太い声がした。








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