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1000文字小説 玉子焼き戦争

ごく一般的な家庭である山田家内部で巻き起こった戦争は些細なことから始まったのだった。食卓を囲んでいた夕飯時のこと、一家の主人であるヒロシが昂然と言い放った言葉に一同唖然とした。 「だいたいお前が作る玉子焼きは甘過ぎるんだ。やっぱり玉子焼きはだし巻き玉子だ」 お前とはヒロシの妻サチコである。ヒロシとサチコは同居して20年。苦楽を共にしてきたいわば戦友のような仲であった、はずだった。20年にして今更な主張にサチコはあっけにとられ、しばらくは開いた口が塞がらなかった。 「玉子焼きはお砂糖を入れて甘くするのがママの味よ。今更何言ってんの」

すんなり引き下がるサチコではなかった。20年間、家庭の味を守り続けてきた自負と玉子焼きへのささやかなこだわり。つまりは玉子焼きの味が家庭の味を代弁するという信念だ。簡単に譲れるはずがなかった。

食卓で腕を組んでそっぽを向くヒロシ。金輪際、サチコの作る玉子焼きは食べないと宣言しているかのごとく、への字に曲げたくちびるの決意は固い。宣戦布告をしたのはサチコの方だった。

「ダシダシダシッてねえあんた。何でもかんでもダシで食べようとすんじゃないよ」

と、いきなりヒロシへ向けて生卵を投げつけたのだった。鈍い音がして頭皮の境目付近に直撃した玉子は、ぐしゃりと原型を留める間もなく潰れて、ヒロシの顔面を一瞬にして黄色く濡らせた。2発目を食らわせようとするサチコを鬼の形相で睨みつけたヒロシは怒りのあまり言葉にならず、食卓の生卵を掴むやいなやサチコへ報復の一投。間一髪のところ鍋ぶたで防御したサチコだったが、足元の生卵に足を取られ体勢を崩したところへヒロシの2投目をまともに眉間に食らってのけ反ったのだった。

元来、玉子焼きに執着していた山田家のパントリー、正確にはサチコの居城には一般家庭の十数倍の生卵を備蓄していたことが惨事をより大きくした。それらすべてが今回の戦争によって使われてしまったのである。家の中のいたるところに戦争の爪痕を残し、床や壁、家具家電まで潰れた生卵だらけになってしまった。

生卵が尽きるまで続けられたこの戦争は、弾不足を理由に両者引き分けとなったが、まだ続きがある。家じゅうを生卵だらけにし食べ物を粗末にした両者の罪は地球より重い。

突如、夜空に閃光が走り山田家宅に雷が落ちた。瞬く間に火は燃え広がり鬼芥子色に広がる。命からがら逃げだしたヒロシとサチコは抱き合ったまま庭の前に崩れ落ちた。そこへ玉子焼きのいい匂いが漂ってきた。


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