大切なのは「だって人間だもんね」って思うこと
お久しぶり更新です。
決算月やら採用やらで忙しすぎて忘れてた。
インフルエンザの予防接種したんだけど腕が未だに痛い私です。
本日のタイトルは、プライベートも仕事もどちらも当てはまると思ってるんだけど、私の考えというか、スタンスの話。
なんか語りたくなったから、まあ聞いてくれ。
何が言いたいかというと、何事も
「人間だから、そういうこともあるよね。しょうがないなあ」って思うことが大切だなって。
みつをさんも「だって人間だもの」って言ってるように、「つまづいたっていいじゃないか。人間だもの」ってやつ。
大切なのは、何かことが起こってからそう思うのではなく、ことが起こらないために、この考えでいるということ。
仕事の時の話だけど↓
部下に何かを指示出して、部下がそれに向かって何かアクションを起こす時、起こす前に「もしかしたらこれ忘れるかもしれないから、あらかじめこうやって布石あっておいたほうがいいな。(人間は完璧じゃないから、忘れてしまうこともあるからね)」って思ってあらかじめ心構えをしておく、ちゃんとできるように準備をしておく、ここをまずやるようにしてる。
人間だから忘れもするし、ミスもする。
それが起きないように普段から業務の中で習慣化できるように指導するけど、どうしてもやっぱり起きてしまう時があるし。
見極めは難しいけど、あきらかな怠惰ではなく、頑張ってもそれが起きてしまう時は「人間は完璧じゃないからそういう時もある、だけどそれを減らすことは大切だから、どう改善していこうか?」これを聞くようにしてる。
これって、言い方変えると、「人に期待しないこと」なんだけど、w
期待をすればするほど、それが成し遂げられなかった時のショックも打撃も大きいし、期待することであらかじめの保険をかけることがなくなってしまうからw(一種の人間不信ともいうのか?笑)
なんでこういう考えになったのかなーって自分を振り返った時に、私の生い立ちが隠れてるなって思ってて、
私は中高時代に家庭環境があまりよろしくなくて、毎日不眠症を患ってたんだけど、辛くて「なんで自分が?」とか、親である存在に対して、「親なのになんで?」ってずっと思ってたわけです。
これ、蓋を開けたら「親の無償の愛」に期待をしていて、そこからのギャップが大きくて、だから辛かったんだなーって思うんだよね。
でも、親っていうフィルターを外したら、それはただの人間で、人間だから辛かったりするし、どうしようもない感情を持ってたりするから、「ああ、親も一人の人間なんだな」って理解をすることで、「自分でもどうかしてかなきゃな」って思うようになったし、心に寄り添うようになった。
そこからは、人を肩書きとか目に見えるビジュアルとか、いろんなもので見るんじゃなくて、それを取っ払った人間として、って目で見るようなった。
だから、お客さんとのやりとりでもそれを配慮して接するし、もちろん社内でもそう。
プライベートでも、そう思うようにしてるというか、意識しなくてもそのスタンスでいる。笑
最近、マネジメントで質問を受けることも増えてきて、この考えを言うようにしてる。
どんなに部下とラポール構築ができていたとしても、自分の言葉で全ての部下がずっと走ってくれるというと、そうじゃないから。
自分の言葉を過信しない、あらゆる場面で行動に結びつける努力をすること、継続して一貫したマネジメントをすること。
ここでみつをさんの好きな言葉を一個。
やれなかった やらなかった どっちかな
私のオカンは、私が「○○できなかった〜」って言うと、「違うでしょ、やらなかったんでしょう」って言ってくる人で、社会人になる前は「なんでそんなこと言うんや〜」って思ってたけど。
社会人になった今、その言葉の重みを感じるようになったな。笑
オカンは偉大です。