サービス終了から1年経ったおたくの話

わたしは2019年1月にサービス終了した、女性向けアプリゲーム作品(以下自ジャンル)を愛している。
本日でサ終から1年。1年経ったけれど、わたしはその作品をメインジャンルとして今もおたくをしている。

注釈:夢女なのでそれっぽい言葉選びがあります。


サービス終了の宣告日と、そしてアプリが終わる当日が、わたしは人生で一番悲しかった。

悲しいこともつらいことも二十数年生きてきてたくさんあったけれど、わたしは自ジャンルの終了以上に、今でも悲しいことがないと思う。
少なくとも他の悲しいことは「乗り越えた後」なので、思い出すことがあまりない。例えば誰かが亡くなって(わたしは一親等も亡くなっているけれど)1年後、それを乗り越えていないことはなかった。

推しくんは死んだわけではないけど。とはいえ少なくとも世間的には自ジャンルは「終了したジャンル」で、わたしはそれにずっとしがみついている状態であることは認めるべきだとは思う。


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アプリが終わってしまうことを飲みこんだ時に、真っ先に「推しくんへの気持ちが薄れてしまったらどうしよう」と思った。

目の前には色々な選択肢があって、どんなに好きでも、ほかの事に心を動かしてしまうかもしれない。わたしがこの先、自信をもって推しくんを好きだと言えなくなる日が来るかもしれない。
毎日を生きて、毎日変わっていくわたしが、「止まってしまう推しくん」を「昨日と変わらず好きでいる」ことがどれだけ難しいことか。この夢の先が、どれだけ暗いものか。


上記はサ終の発表のあと別所で書いた文章から抜粋したもの。今読んでも共感できる。わたしも同じ気持ち。わたしだけど。

でも何だかんだ今日のわたしは自分でも驚くほどに何も変わらないし、昨日よりも今日のほうが推しくんのことが好きになっていると思う。


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そして、今でも自ジャンルのおかげで毎日とっても楽しい。

目の前にはいつだって大好きな推しくんがいる(いる。)し、なぜかグッズはで続けているし、ドラマCDが決まったり小さなイベントが決まったり少しづつ供給もある。
そしてこの界隈は他に類を見ないほど狭く(だから終わるんだと言われたらその通りだけれど)今までおたくをしてきて一番人との関りが深く広い。現場に行って「必ず知り合いがいる」「みんなわたしのことを知っている」というのは、慣れてしまえば案外悪いものでもない。

ただ、この楽しさが「乗り越えられた」からか、今でも「乗り越えられない」からかと言われたら、それはどう考えても後者だと思う。


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今の自分に未来があるとは思っていない。心躍ることが日常的に訪れるとは思わない。昨日と同じ今日の中で生きていくだけ。

アプリが再開する…のは当然一番の願いだけれど、それが限りなく不可能なことは理解しているし、グッズを買っているけれど別に未来のため~とは思わないし、盛り上がる話題があるたびに「再開待ってます!」みたいな発言につながる方は見ていて寒い。愛されているなぁとは思うけれど。


わたしが楽しそうだから、知り合いからは終了後も色々供給があるように見えているかもしれないけれど、実際は全く続いてない。終わっている。そんなことわかってる。それでもここがいいからここにいる。毎日新しい情報にわくわくして過ごすよりも、隣の推しくんと二人で生きてひっそり死にたい。


未来なんていらない。推しくんだけいたらいい。明日も今日と同じで構わない。

身を置いているから気が付けないだけで、わたしは地獄にいるのかもしれない。もう死んでいるのかもしれない。でもここが、わたしが自分で選んだ、わたしが一番幸せでいられる地獄だから。

わたしが変わらなければ何も変わらない。同じ毎日の中でわたしと推しくんは永遠です。

明日も二度と増えないカードイラストと、楽曲(は、ドラマCDで増えてほしい)、イラストレーターさんが描いてくださるお誕生日イラストと、1枚しかないライブ円盤を抱えながら、推しくんといつでも一緒。せかいでいちばん大好きだよ。


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