グッズ厨は「公式に貢献」しているのか

わたしはサービス終了したアプリゲーム作品のおたくです。

自ジャンルはサ終する前も後も、よく缶バッジが出る。
そしてわたしも缶バッジは楽しく購入している。大好きな柄に対しては複数回収もするし、一柄に十数万使ったこともある。

しかし、もともとアプリゲームがあるうちは熱心な(複数回収するほどの)グッズのおたくではなかった。そもそもゲームに同額以上課金していたので、二足の草鞋はわたしの財力では難しかったし、ゲームをしている間はグッズが欲しいという感情がそもそも薄かった。

アプリに課金できなくなってしまってから、グッズを買う量が増えた。
わたしが缶バッジを買う理由は、アプリがなくなってしまった悲しみのやり場が、そこしかないからだと思っている。缶バッジが出続けている限り作品に関する刺激が得られ、現場もある。その「今」を楽しんでいる。そして何より、推しくんのお顔はとてもかっこいい。


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よく缶バッジが出る自ジャンルは、サ終を宣告したその日もオンリーショップを開催していた。そして1年経った今日も開催している。
初めの頃は「まだ作品に関われる!」と界隈も盛り上がっていた。ただ、なぜかグッズ展開はアプリ配信していたころ以上に増えた。

終わっているにも関わらず永遠に出る缶バッジ、カフェコラボも続き、ほぼ休みなくオンリーショップも開催されている。

目に見えて「疲れた、もういい」という声が増えた。「終わったのに、未来はないのに、新しい展開は見込めないのに、お金を払うことができない」と言って担降りを宣言する人もいた。

気持ちが全く分からないわけではない。出るすべての商品で、緩急をつけずにすべて全力を出していたら、それは疲れてもおかしくないと思う量の新商品が出た。
ただ、同時にグッズに「未来」を託すことは、少し重すぎるのではないかと思った。「たかが1つ500円程度の缶バッジの見返りに、何を求めているのだろう」と感じた。


少し話が違うが、自ジャンルがサ終してから迎えたアプリ配信4周年の日にドラマCDの製作が発表された。その時も「自分たちがグッズを買い続けたからだ」と言うファンを多く見かけた。もちろんある程度の「参考」にはなっていると思うが、グッズの売り上げ資金がドラマCD製作の大半を占めているとは申し訳ないが思えなかった。

「グッズを買うこと」が「公式への貢献になっている」という考え方の人間が多いような気がする。極論そのグッズが要らなかったとしても、「貢ぐ」という感覚で買っているような印象すらある。
「グッズを買えば未来につながる」「公式が潤う」と思っていて、グッズを買ったら「公式から見返りがあるべき」だと考えているのではないか。

残念だが、「500円の缶バッジの見返り」は「手元にある500円の缶バッジ」ではないだろうか。
それ以上でも、それ以下でもないのではないだろうか。


手元に残った缶バッジ以上の見返りを求めてグッズを買うことは、当然つらいことになっていくと思う。それは今回のような今後の展開への期待然り、他にはマウント然り、承認欲求然り。それらは基本的に得ることができたと勘違いすることはできても、明確に与えられるものではない。

わたしもグッズのおたくなので、500円の缶バッジが数万になる姿も、争う人々の姿も、そして公式への期待を込める姿も、いくつも見た。
しかし結局のところ、「その缶バッジが欲しい」以外の感情でグッズを買うことは、総じてつらいことになっていくと思う。

500円の缶バッジには、手元に残った500円の缶バッジ分の価値しかない。

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