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母について。


はじめての投稿は何にしようかな、とここ数日考えていた。


今日も1日、原稿に向き合う。

人の文章を毎日見ていると、自分でも書いてみたくなるものなのだろうか。

なんて、編集者ぶってみるけれど、まだ2冊しか世に送り出したことがないペーペーだ。

それに、文章を書きたいという衝動は、今に始まったことではない。

Facebookの投稿なんて、今でこそほとんど更新しないが、

大学卒業、上京、はじめての帰省…

と、節目節目に自己満で綴ってきた。


そりゃ、noteでの初投稿に少しのこだわりを持つことも、おかしな話ではない(と言いたい)。


そして、こだわった先にたどり着いたのは、「母について。」だった。

「She is」というメディアで、#ははとむすめ の公募コラム企画を行なっていたのをたまたま見つけ、平日のお昼、仕事の休憩時間に、夢中になって読んでいた。

まったく知らない人たちのまったく知らない思い出なのに、なぜか共通して泣けてくる。

社会人になったと同時に上京し、慣れない都会、慣れない仕事、慣れない生活に戸惑ったこともあってか、離れて暮らしてからというもの、母がとても愛おしい。

自分にも思い当たる、各々の母とのエピソード。

重ねようと意識せずとも、どうしても自分の母のことが浮かんだ。

だからいっその事、わたしも母について書いてみようと思ったのだ。


大好きだけど、クールな関係。

母のことは昔から好きだし、母も私のことが大好きだと思う。

そろそろ子離れしなよ、なんて本人が感じるほどだから、たぶん間違ってはいない。

一緒に買い物したり、服を貸しあったり、ご飯にいったり、仲良くやっている。


だけど、母と私は、大事な話はしない

母親というのは、我が子に自分のことはあまり話さないものなのかもしれない。

守り抜くべきものの前で弱さを見せないことは、本能的に理解できる。

子どもに心配をかけたくないとも思うだろう。

でも、子ども、しかも娘が、母親に自分の話をしないというのはどうなのだろう。俗に言う「仲の良い親子」は、何でも相談するものではなかろうかと、なんとなく思っている。

学校での出来事。

好きな人の話。

受験のこと。

新しい生活。

私はどれ一つをとっても、「別に」で済ませてきた。

反抗期ならまだしも、もうすぐ27歳になる今でも


自分のことを話せない。

なぜか、自分のことを話すのに抵抗があるのだ。この世で一番理解があるはずの母に。

それは、面倒くさいといった感情とは少し異なる。

それこそ、心配をかけたくないのだと思う。


母の前では平気な顔をしているが、本当は、自分でも落ち込むほど頼りなくて、すぐに心が折れてしまう人間だ。

疲れ切った日に、一人暮らしの家に帰って思うのは、「実家じゃなくてよかった」ということ。

こんな疲れた表情を、母に見せたくない。いつも平然とした娘でいたい。

母にとっては、なんて可愛げがない娘だろうか。頼ってくれない歯がゆさもあると思う。本当はいろんな娘の話を聞きたいだろう。

そんなことは、とっくの昔から悟っている。

だけど、話せないのだ。

ごめんね。

これはもう、これ以上どうにもならない話で、かっこつけな娘を、どうか許してほしいと願うしかない。


二人の関係性。

たとえ弱いところが見せられない性分だとしても、しんどいなあと思うときや、誰かに黙って話を聞いてほしいと思うときもある。

そんなとき、母から連絡が来るんだから不思議だ。

「元気にしとう〜!?」


「うん」

娘からのそっけない返信に、母は深くは突っ込まない。にこにこのスタンプ一つで返してくる。これが私たちの関係性だと承知しているかのように。

母は気づいているのだろうか。

本当は泣いてる娘の姿に。

何も語らないけれど、語れないけれど、

こんなタイミングでLINEを送ってくれるなんてさすが血が繋がっているだけあるな、と半分笑いながら涙を浮かべる私に。


たぶん、私が母に自分の話をじっくり聞かせることは、これからもない気がする。

話せないんだから、しょうがない。

だけど、一つだけお願いがある。

これからも懲りずに声をかけてほしい。

それだけで、娘は救われている。


いつか話せるようになったとき、このお願いも、きちんと伝えたい。

わがままだけど、それまで待っててね、愛おしい母よ。


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