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【チョメルな小杉】小杉を産みにマレーシアにきた

note.再開。

本帰国して早1か月半。色々と書きたいことはあるけれど、マレーシア生活の締めくくりとして、そして日本生活のスタートとしてどうしても残しておきたいことが1つありました。

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決して順風満帆ではなかった約2年間のマレーシア生活。

1年目は仕事がない友達はいない、マレーシアのことも全然好きじゃないと不貞腐れ。

2年目は妊娠から始まり、体調が落ち着いてきた頃に英語とマレー語を始めて環境を変えようとしたものの、妊娠中期に入った11月突然心のバランスが崩れてしまった。

電車に乗れば席を譲ってもらえるくらいおなかも大きくなり始めた頃。

本来であれば赤ちゃんの名前をあれこれ考えたり、ベビー用品をそろえたり、きっとしあわせいっぱいな時期に私は何をしていたかというと、精神科のカウンセリングに通っていた。

毎朝1日が始まるのが恐怖で起床と同時に動悸がし、旦那さんが仕事に行くのを泣きながら見送り、ソファやベッドで休むこともできず、気を紛らわそうと何時間も外を歩きまわる(ほぼ徘徊)。

家にいるときは誰かと常にメールや電話で繋がっていないとおかしくなりそうで。自分が自分でなくなってしまった感覚が恐ろしく、夜中は何度も目が覚めパニックを起こしては旦那さんと一緒に深呼吸をした。

何百回彼に助けてくれと泣きつき「大丈夫」と抱きしめてもらったか分からない。

別に母性あふれるキラキラとした妊娠生活を送るつもりはなかったが、さすがにこんな毎日を過ごすことになるなんて思ってもみなかった。生きた心地がしない途方もなく苦しい時間は出産直前までの約4か月続き、元気になった今となってはあれは一体何だったんだろうと不思議なほど異常だった思う。

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回復するまでの過程はまた書くとして、とにかく私は元気になり小杉も無事うまれてきてくれ、マレーシアでの子育てをとっても楽しみに考えられるようになった矢先に突然の本帰国が決まった。

いざマレーシア生活が終わるとなるとどうしようもなかった2年間の後悔が溢れ出てきてしまい、特に旦那さんのサポートが全然できなかったことについて、やべえ...まじで2年間何も支えてねえわ...と我に返るような気持ちだった。

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そして今日書きたかったことのハイライトようやく。

日本帰国前、体調を崩してからずっと話を聞いてくれていたNさんとご飯へ。

流れで上に書いたような後悔のあれこれをもらしたときにやっぱり涙が滲んできてしまったんだけど、


それに対してNさんが言ってくれた言葉

「こんなにかわいい小杉ちゃんを産みに来たと思えばいい。それで十分だよ

この言葉のおかげで、私はもう何もかも全部チャラにして清々しい気持ちで帰国できたし、今もこの言葉を思い返してはマレーシアで過ごした時間がかけがえのないものだったと思える。


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「マレーシアに小杉を産みにきた」という事実の有無を言わさぬ力強さ。

そうだ、これ以上のことはない。いいんだこれで。よかったんだマレーシアに行って。



日本に帰ってきて毎日毎日マレーシアが恋しいです。
自分でも、いつの間にマレーシアを好きになったんだよ!と突っ込みたくなるけど、苦しかった中でもマレーシアへの感謝の思いは育っていたのだと思います。

今回書いたNさんほか、母親学級でのお友達もでき、心に余裕ができたらマレーシアの素敵なところがいっぱい見えてきた。妊娠中にたくさんの優しさをくれたマレーシアの人たち、産科とカウンセリングのドクターのことも別の機会に絶対書きたいなあ。

さてさて長らくご拝読いただきありがとうございます。最後に、マレー語でありがとうはTerima kasih(トゥリマカシ)。

通常一続きで覚えるこの単語、
マレー語のクラスで "Terimaは受け取る、 kasihは愛。つまり、あなたがgiveしてくれた思いを私は受け取ったよ=ありがとう"だと教わりました。

私、トゥリマカシがとても素敵だと思う。そしてマレーシアへの今の私の思いも、まさにトゥリマカシです。


ということで以上です!ぴ!


















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