見出し画像

脱毛、歯列矯正、美容整形…、自分へ投資する意味と変化

先日、友達に「整形したいんだよね」という話をしたところ、ものすごく驚かれて大反対され、最終的に「あなたの言いたいことは分かったけど、あなたに反対される筋合いないよね」と言ったらなんだか微妙な雰囲気になりました。

ちなみにある友人は、女性が脱毛することに対し「俺はそういうの必要ないと思う!」と言っていて、「あなたが必要と思うかどうかじゃない」と胸の中で思っていました。

ちょっと前にツイッターで美容整形に関するワードがトレンドに入っていましたが、整形反対派や脱毛反対派はまだまだとても多いようです。

きれいになりたい女の子の家族や彼氏が反対派で大反対され、「やりたいけど周りの反対を押し切るのが怖くて手を出せない」なんてケースも多いのではないかと思います。

私は美容整形こそまだ手をだしていないものの、脱毛は20代前半から繰り返ししているし、歯列矯正もしたし、レーザーでのシミ取り・ほくろ取りは何度もしています。

やって思ったのは、「やって本当に良かった」。特に歯列矯正は「もっと早くやっておけば良かった」と思いました。

自分に投資して見た目を整え、理想の自分に近づくことで、自己肯定感が上がります。今まで気になっていたいろいろなことが気にならなくなり、見える世界が変わってきます。

そんな、「自分への投資」について、買いてみたいと思います。

他人の目が気になる、自分に自信が持てない

私は歯並びがとても悪くて、写真を撮るときに歯を出して笑うことができませんでした。

だから、小学校も中学校も高校も、卒業アルバムではみんなが笑顔のなか、一人だけおすまし顔で写っています。

友達同士で取る写真でも基本的に口を開かないようにしていて、笑う時は口元を手で隠すのが普通でした。

おしゃべりしていたら普通に見えているし、仲のいい友達は見慣れているはずなのに、それでも大きな口を開けることが恥ずかしくて、ずっとそんな思いを抱えて生きてきました。

自己肯定感は限りなく低く、「こんなに歯並びが悪かったら彼氏なんて絶対できない」と思っていました。

また、八重歯もあったので、「海外旅行もできない。八重歯は嫌われるから、いじわるされる」と思い、歯列矯正を始めるまでは海外旅行もできませんでした。

今思えば、全然そんなことないし、過剰な思い込みです。

でも、当時の私は本気でそう思っていました。

「歯並びが悪い」というだけで、人生のいろいろなところでストッパーがかかってしまっていたのです。

本当は全力で走れるのに、見られたくないところがあるからと気にして、流しながら走っていました。

そんな私が歯列矯正をしたのは20代後半になってから。

思い切って医療ローンを組んで歯列矯正をして、2年で矯正が終わり装置を外したときの、あの爽快感といったら!

長年私をさいなんできた巨大なコンプレックスが一つ消えたって、本当にすごいことです。

天にも昇る心地で、歯科医院を出てすぐに、前歯を思いっきり出したスマイルで自撮りをし、母に写真を送りました。

それからは当然ながら、人からの視線が気になることもなく、普通に歯を出して笑えるし、写真もにっこりスマイルで写れます。

これは後になって知ったのですが、歯列矯正は、見た目はもちろん、歯周病対策や虫歯対策、高齢者になったときに自分の歯を失いにくい(入れ歯になるリスクが減る)という『健康』的な意味からも必要です。

歯並びが悪いと虫歯や歯周病リスクが高く、自分の歯を失いやすいと、いろいろな歯科医師から話を聞きました。また、自分の歯を失い入れ歯になると、痴呆症になりやすくなるというリスクも抱えてしまうそうです。

コンプレックスを消して生き生きと過ごすためにも、長く健康に生きていくためにも、歯列矯正は必要なことでした。


さて、じゃあ「歯列矯正をする意味は分かったけれど、脱毛は不要だろう」という人もいるかもしれません。

でも、脱毛も「自分のコンプレックスを消して、自己肯定感を上げる」「思うままに伸び伸びふるまうことができる」という意味で、私は「自分のムダ毛が気になる人は、脱毛をしたほうがいい」と思います。

腕や脚に生えた毛が気になると、

半袖のシーズンはこまめにシェーバーで毛を剃ってケアするようになります。けれどうっかりお手入れを忘れたまま半袖になってしまったときの、人の目が気になることといったら……

ワキは基本的に「処理するのが当たり前」になっていますが、ワキを処理し忘れて長くなってしまった女性を、影で「〇〇さんのワキ、見た?」「びっくりしたよね」と囁き合う女の子たちをたくさん見てきました。

その様子を見て「自分は絶対ワキの処理は怠るまい」と思う反面、「ワキが見えそうなノースリーブや袖が短い服は絶対に着られない」「半袖も、できるだけ袖が長めのものを」「袖が短い服を選んだ日は、絶対に手を上に上げない」など、いろいろな制約を自分に課していました。

私は二の腕が細く、そこがチャームポイントでもあるのですが、ワキ脱毛をしてかなり毛が減るまでは、二の腕が出るような服は選べませんでした、

「毛深い」というコンプレックスのせいで、自分の魅力を生かす服を選ぶことができなかったのです。

社会人になって自由にお金を使えるようになってから、ちょっとずつ全身のいろいろなところを脱毛し、ついには「ええいもう面倒くさい、全身全部脱毛しちゃえ!」と、銀座のとても安いクリニックに今通っていますが、1回の施術ごとに毛が減っていくのはとても快感。

全身脱毛を始めたことで、「毛深い」コンプレックスから抜けられつつあります。

コンプレックスが減り、自己肯定感が上がるとどうなるのか

歯列矯正や脱毛をして自分を変えることで、これまで気になっていた「自分のダメな部分」「恥ずかしい部分」「人から見られたくない部分」が消えました。

すると、自分自身が階段を一つか二つ上がったかのような感じになります。

いい洋服を着た時のように堂々と振舞えるし、初対面の人と会うのも、挨拶するのも、話すのも恥ずかしくなくなりました。

自己肯定感が上がると、なんだか世の中がとっても生きやすくなる!

それが、私が感じた一番大きな違いでした。

それから、人からの好意を素直に受け入れやすくなったように思います。

誰かが「かわいいね」と褒めてくれたり「好きだよ」と好意を示してくれたことに対し、自分に自信があるので「ありがとう!」と前向きに受け止められます。

けれど、自分に自信がないと、「かわいいね」と褒めてもらえても「おせじでしょ」と思ってしまうといし、「好きだよ」と言われても「騙されてるんじゃ」と疑ってかかってしまう。

同じ状況で、同じ人から同じ言葉を言われても、自分に自信を持てているか、そうではないかで、反応や自分の心の中が大きく変わってしまうのです。

誰かから好意を向けられたら、それに対して素直に喜んで「ありがとう!」と反応できた方が絶対いい。そんなの誰でもわかります。

自己肯定感って、恵まれた家庭環境で育って生まれつき高いまま成長した人もいれば、否定されることが多くて自己肯定感が低いまま大人になってしまう人もいる。また、私のようにコンプレックスで自己肯定感が低かった人も絶対にいると思います。

自分自身の体験からも、周囲の人を見ていても、絶対に自己肯定感が高いほうが人生は楽しいし充実してる。

じゃあどうやって自己肯定感を上げるかというと、人によって方法は違いますが、「コンプレックスを消す」のはとても有効だと思います。特にそれが、外見に関するものだった場合。

コンプレックスは、他人には理解されないことが殆どです。

「そんなことたいしたことないよ」「大丈夫だよ」

と無責任に、そして悪気がなく、半分くらいは本気でそう思って、コンプレックスを否定してくれる人がいますが、けれど誰かが「そんなことはたいしたことない」と言ったところで、その人が抱えるコンプレックスが解消されるかというと、そうではありません。

もしかしてそれで本当に「そうか、たいしたことがなかったんだ!」と心の底から思えれば、それは超ラッキー。でも少数。

ほとんどの人は「そう?」「ありがとう」と言いながらも、やっぱりコンプレックスを消せずに悩み続けるのです。

だったら、そのコンプレックスを解消するための「具体的な」方法を試してみるべきだと思います。

幸運なことに、私たちが生きているこの世界は医療が発達して、外見に関するコンプレックスの多くは医療で解消することができます。

思い切って踏み出した先に、コンプレックスを解消して自己肯定感爆上がりでキラキラ笑って生きていける未来があるなら、早くそこに向けて歩き始めたほうがいい。

だって、こうしている間にも残りの人生は刻一刻と短くなっているんだから。

コンプレックスに対して無責任に「そんなことないよ」という人は、自己肯定感が低くてストッパーが多く、思うように振舞えないあなたの人生に対して、何一つ責任を持ってくれません。

自分の人生の責任を持つのは自分。

どうするかを決めて、動くのも自分。

いつ、それをするのかを決定するのも自分です。


私はこの夏、顔のシミを消すため、レーザー医療を受けました。結果、100%は消えずにまだ薄く残っているけれど、大満足。素肌に自信が持てて、最近はファンデーションなしで過ごしています。もちろんコンシーラーも使いません。

「クリニックでレーザーやってもらおう!」と動いた結果です。

歯列矯正はまだしも、脱毛や整形、皮膚の美容医療は、「不要だ」という人も多いです。けれど、それはその人の価値観で「不要」というだけであって、私のコンプレックスを理解してそう発言しているわけではないし、私の人生の責任を持ってくれるわけでもない。

むしろ、他人に「不要だ」と言われがちな自己投資こそ、自分を根っこの部分から変えて支えてくれたように思います。

他人の意見に振り回されず、もっと自分が思うままに生きていきたいです。

そして、他人の声に振り回されて「これって不要な自己投資なのかな?」と悩むコンプレックスを抱えたすべての人に、「外野の声をシャットアウトして、自分の声を聴いて決めて」と言ってあげたいなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?