見出し画像

出会いは偶然? 機会を逃さないために

第99号(2023年3月22日)素敵なひとり旅の平井厚子さんからバトンを受け取り、今日が誕生日の浅川です。 第百号おめでとうございます。

テーマに沿って私の経験をお話しましょう。
1つ目の衝撃的な出会いは「キャリアカウンセリング」
ー好奇心と粘り強さから得た偶然ー  キャリアカウンセリングが日本に入ってくることを報じた1999年1月4日の日本経済新聞の記事で日本マンパワーCDA養成講座と出会います。ピコンと来て、満席お断りでも粘って本社に押しかけ、参加を認めてもらいました。それは営業17年の商社パーソンが経験も知識も不足な人事での新しい領域。組織だけでなく、個、社員のキャリアが本当に大事という視点から見ても機会を逃さない大きな転機でした。
2つ目の驚きの出会いは「社長丹羽さんからの提案要請」
ー楽観性とリスクテイクの偶然ー 
伊藤忠の社長就任の日丹羽さんにメールを差し上げた1998年4月1日以来、周囲の目など気にせず、社内外のキャリア関連の情報を流していました。2002年4月になって、「では提案していらっしゃい」と反応があったので動き出します。「商社は人だけが財産」とおっしゃるなら、キャリア相談の組織は大切、というアピールに応えてもらえました。人事部の中の一社員としては大きなリスクでしたが「何とかなるさ」と楽観的なチャレンジだったように思います。タナケンさんが言う「一歩前に」かな? 皆さんにもお勧めしたいことです。
3つ目のショッキングな出会いは「2002年7月全米キャリア開発協会シカゴ大会で後ろから声をかけてきたサニー・ハンセン」
ー挑戦の柔軟性や感動から勝ち得た偶然ー
あの女神様サニー・ハンセンが廊下で開かれた懇親会で私の話に関心を持ち、翌朝2人だけの一時間半の朝食会に誘われた奇跡。大会への勇気ある単独参加、様々な分科会にも一歩踏み出した柔らかい反応へのご褒美だったと思っています。 伊藤忠にキャリア相談の部屋を創って数日後の海外出張での出来事です。その後も2004年サンフランシスコ大会、2013年ボストン大会でのご夫妻との朝食の席やメール、カードのやりとりは心温まるもので、今も私の心の中に生きておられます。お会いすると「伊藤忠のキャリアカウンセリング室はその後どうですか?」「経営陣との関係や研修活動はうまく行っていますか?」などと訊いて下さる2人だけの時間は至福の時でした。こんな感動を得るのも次につなげるのも実は偶然ではなく、皆さん一人ひとりの中にある力が導きます。
 おまけの衝撃の出会いをもう一つ。ボストン大会の分科会場の列にジョン・クランボルツと並んで話し込んでいるうちに事前に登録した講演とは別な部屋に入り込み、身動きも取れないまま隣り合って座る、ということがありました。お陰で百年記念祭で深夜まで続くダンス会に一緒に入り込む形に。
 
こんなエピソードで何がお話したいのでしょうか?
一サラリーパーソンが40歳で海外駐在から帰国し、営業から人事部に異動。「新しい風を」と意気込んでみても新参者なので知識、経験、顔がなくて苦労することに。でもお正月にお屠蘇気分で読んだ新聞記事で「キャリアカウンセリング」というものを知り、私の人生は変わりました。キャリアの世界ではこんな信じられない「偶然」がその後のイキイキした人生につなげてくれます。はい、誰でもです。人生百年時代に生きる支援のお仕事の皆さん!どうか楽しくチャレンジして下さい。TV番組「人生の楽園」ではありませんが「応援してまあす!」

次回は第101号臼井資則さんにバトンをお渡ししますね。お楽しみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?