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2019年4月2日 三陸道の開通式で、大谷中学校の生徒が述べた言葉

これは今年2月に行われた三陸道の開通式で、大谷中学校の生徒が述べた言葉。震災時、彼女はまだ幼稚園児でした。おそらく彼女の中で復興や全国からの支援の象徴として、今回は三陸道について述べているのだと思います。
親せきの子であまり身内を褒めるものではないのですが、心動かされる内容だったのでご紹介します。以下全文を掲載します。


本日は三陸自動車道 大谷―本吉津谷間の開通、おめでとうございます。
私は、大谷中学校から三陸自動車道の工事を見ていました。そして三陸自動車道が完成に近づくにつれ、私の期待も膨らんでいくのを感じました。
三陸自動車道が開通すれば、交通の便が良くなります。交通の便が良くなれば観光客が増えます。観光客が増えれば、まちが元気になります。
私にはまちが元気なってほしい理由があります。まだ幼かった頃に面倒を見てもらっていた親戚が、震災の日、津波にのまれて亡くなりました。ショックでショックでたまらなく、泣いて、泣いて下ばかり向いていました。ついに私はPTSDという心の病気になってしまいました。多くの時間がかかりましたが、年月が経ち、まちが少しずつ回復するとともに、私の心も回復していきました。そして、「この出来事を忘れてはいけない、この町を元気にしていきたい」と思うようになりました。
あと1ヶ月であれから8年。一度はしおれてしまい、涙であふれたまちが、また立ち直ってほしい。だから、まちが元気になってほしいのです。
そしてまた、私には助産師という将来の夢があります。震災で命の大切さ、尊さを知ったことで、新しい命の誕生を支える人になりたいと思いました。交通の便が良くなれば、1つでも多くの命を救うことができます。震災前は道路はただ自動車の走るだけのものだと思っていました。でも今は、人の未来をのせているのだと思っています。徐々に復興してきます。未来が広がると思うからこそ、全線開通してほしいです。
三陸自動車道を通して、気仙沼の魅力をたくさんの人に知ってもらいたいです。食べ物が美味しいけれど、私は「気仙沼の人」が一番の自慢です。三陸自動車道がつながることで物流や観光を通して最終的には人と人がつながります。心温かく人情にあふれた気仙沼の人と全国の人々とのつながりを支える、それが三陸自動車道だと思っています。
最後に、津波によってたくさんのものが奪われました。しかし、海は恵みをもたらします。大谷海水浴場がもう少しで再開されます。海は大谷の誇りです。大谷のまちに暮らす一人として、三陸自動車道でこのまちを訪れた人々に、海を見てもらいたい。そして震災から復興した姿を見てほしいです。
たくさんの支援を受けて三陸自動車道も開通しました。感謝の気持ちを言葉だけではなく、海とともに暮らし、そして気仙沼のために働くことで返していきたいと思っています。

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