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弟と沖縄に行った話

まだ外出も旅行も社会的に許されていた春の初め、急に数日間の何もない時間が生まれたので、弟を誘って沖縄に行くことにした。直後に別件で草津に行くなど旅行が続いていたので日記にするのをすっかり忘れていたんだけど、せっかくなので書いておくことにする。

いきなり脱線。「社会的に許される」っていう感覚、不思議だよな。ちょっと遊んでるのがバレると批難される有名人でもあるまいし、自粛期間中に出かけることを責めてくる具体的な他者はいないはずなのに(有名人だと炎上するのもそれはそれで考えるべきこと色々あるけれど)、なんとなく気が咎めてしまう。全てが「自粛」という、責任の所在も強制力も曖昧な日本語らしい一言に凝縮されてて面白い。ちょうど学科の友人がその辺の問題意識から社会の法化をやるらしいので、勝手に楽しみにしています。

(このあとしばらく旅行とは関係ない話が続くので、旅行記だけ読みたい人は1日目へ飛んでください)

0日目

話を戻そう。
家族旅行は年1くらいで行くが、弟とふたりで出かけるのはほとんど初めてだった。始めから弟と出かけようとしていたわけではなく、友人数名と行こうか話題に上がっていたのが立ち消えたのがきっかけだった。完全に沖縄の気分になっていた自分を持て余していたところに、同じく暇を持て余していた弟の存在を思い出し、「明後日から3日間、南の方が天気いいんだよね。沖縄行かない?」と誘い、勢いのままに飛行機と宿を予約。前回伊豆大島に突然行った時もそうだったけど、直前に決める旅行は、天気を踏まえて行程を組めるのが素晴らしい。私たちが関東へ戻ってきた日から再度天候が崩れていたので、ラッキーだった。

弟と私は、2人で2泊3日の旅行に行ってしまえる程度には仲が良いのだけれど、人間としては本当に合わない。本当に。ものすごく。もし姉弟ではなくクラスメイトだったら、絶対に仲良くなることはなかったと思う。性格も趣味も好きなものも、何もかもが被らない。私は弟のことを軽薄で中身のない人間だと思っているし、弟は私のことを勉強しかできない社会不適合者だと思っている。お互いの嫌いなところを言い合えば、夜が明けてしまうだろう。

それなのに、不思議なことに、私は弟のことを心の底から大切に思っている。弟が今後の人生で何をしようと、どんな状態になろうと、最後まで味方でいるだろうという謎の確信がある。そう、ブラコンなのだ。

私は、父にあたる人とあまり上手くいっていない(一方的に)こともあり、「血の繋がり」という言葉が大嫌いである。一時期、子供は親が育てるのではなく生まれ落ちた段階から国が預かって一律に教育すべきだと本気で考えていたし(これが本当のスパルタ教育だ)、未だに、親と子という関係がもっと簡単に断ち切れるものであったなら、世の中の大抵のことは解決するのではないかと思っている。

だが、そんな風に血縁を否定する一方で、私が弟のことを大切に思う気持ちは単に「血縁」のもたらす結果なのではないか?と思ってしまうことがある。もっと言ってしまえば、これはただ、自分のDNAを弟を通してこの世に残そうとする本能の現れなのではないかと。私は結局、ただの遺伝子の乗り物なのではないかと。もしくは、多くの人が他人に向けている感情を私はうまく表出できずに、一番身近な存在に全部ぶつけてしまっているのではないかと。

ブラコン歴が長い分、ふとした時にこんな風にわけのわからないループに陥ってしまう。そしてこのコロナ自粛で時間を持て余した私がたどり着いたとりあえずの解答が、「だってかわいいから」である。

我が家には、私が幼少期の写真や動画はほとんど残っていない割に、弟の幼少期の映像が大量に残されている。それに関して親からの不平等を責めたり拗ねたりする気持ちは1ミリも芽生えない。だって幼少期の弟はとんでもなくかわいいのである。当時3歳の私が、ようやく首が据わり始めた頃の弟を、あまりの愛しさでヘッドロックしている写真が何枚も残されている。こんなかわいいものと19年も生きていたら、そりゃ単純接触効果でブラコンになるのも仕方ない。そうひとまず結論づけることで、私は自分の妙なプライドのようなものを曲げることも傷つけることもなく、弟への感情を整理することができた。気持ち悪い姉だとは思う。弟には同情する。

旅行記のつもりが、だんだんずれてきた。ここからは単純に、楽しかった沖縄旅行について書くこととしよう。

1日目

予約が直前だったこととできるだけ安く行きたかったこともあり、午後16時くらいに成田を出発する飛行機で沖縄へ飛び立った。到着して、モノレールに乗って国際通りへ。沖縄県は石垣島にしか行った事がなく、本島を旅行するのは初めてだったので、これが噂の国際通り...!という感じで大盛り上がりだった。宿はコスパ重視で、国際通りに隣接する南国風ゲストハウスの一番安い部屋を予約していたが、想像していた4分の1ほどのサイズで、あまりの狭さに爆笑してしまった。流石にこれは無理だ、ということになり、追加で2000円くらい払ってツインに変更してもらった。衝撃的すぎて写真を撮っていなかったのが悔やまれる。

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夕飯で何を食べるかで、さっそく大喧嘩。今後はいちいち書くのが面倒なので省くが、2時間に1回くらい喧嘩していたと思う。ただ、2人しかいないし話さないとやってられないので、毎回15分くらいでお互いに喧嘩していたことを忘れて普通に会話していた。
そんなこんなで、ソーキそばのお店へ行った。ちょっと入りづらい店構えだったが、中に入ってみるとほぼ満席で、もしかすると隠れた名店だったのかもしれない。ソーキそばとゴーヤチャンプルを食べた。

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そのあとは国際通りをぶらぶらしながら宿へ戻った。各自のタイミングで就寝。そういえば寝る前に、弟は「喉が乾いた」と言ってわざわざスタバまでフラペチーノを買いに行っていた。こういうところが本当に理解できない。さっきコンビニでお茶買ったじゃん。

2日目

朝ご飯には沖縄のソウルフード、ポークたまごおにぎりを食べた。朝イチで行ったのに人が並んでいた。注文を受けてから作ってくれる温かいおにぎりは、シンプルだけどとても美味しかった。

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宿を出て、予約していたレンタカー屋へ。去年免許を取ってからまだ5回目くらいの運転で、今までは自分より運転できる人に助手席に乗ってもらっていたので、初めてのソロドライブにめちゃくちゃ緊張していた。弟にはナメられまいと、虚勢を張っていたけれど
出発してからわずか5分で行き止まりの道に突っ込んでしまい(これは弟のナビにも問題があったと断固主張したい)Uターンするのに10分くらいかかった。近くで水道管の工事をしていた作業員のおじさんが助けてくれなかったら、私たちの沖縄旅行はあの住宅街の路地で終わっていただろう。本当にありがとうあの時のおじさん...

その後なんとか運転の勘を取り戻し、まず向かったのは県南部のガンガラーの谷。ここは弟のチョイスだった。

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ガンガラーの谷は、もともとは鍾乳洞だった場所が崩れてできたスポットで、これぞ南!という亜熱帯の森が広がっている。また、港川人という旧石器時代の人類の居住地だった可能性が高く、毎年発掘調査が行われている考古学的にも重要な場所らしい。1時間半ほどで解説を聞きながら回るツアーに参加した。スタート時にはさんぴん茶が入ったタンブラーが配られ、鍾乳洞へ入るときはランタンを持たされるなど、ワクワクする小道具が多くてとても楽しかった。

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そして何より、ツアーガイドの女性の語りがめちゃくちゃ上手くって、引き込まれた。修学旅行で遺跡を巡る時なんかはよく現地ガイドの方がついてくれていたけれど、今まで出会ったこういうタイプのガイドの中で、ダントツで上手かった。この場所で得た満足感の7割はあのお姉さんのお陰だと思う。声質、スピード、抑揚、間の取り方、全てがすごかった。

ガンガラーの谷で緑を満喫し、高速へ乗って一気に北へ。ものすんごく道が空いていて、運転するのが最高に楽しかった。途中でナビにない通行止めに遭遇したときは焦ったが、山道をひたすら行くことになったのはそれはそれで愉快だった。

そして到着したのが、私が行きたかった、古宇利島。真っ青な海と空の中央を、真っ直ぐな橋が貫いている光景は、素晴らしかった。きっと本当は上空から見るのが一番なんだろうな。

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手前の駐車場に車を止めてしばらく海辺で遊んだあと、足で走って一旦向こうへ渡ろうとしたが、思いのほか橋が長かったので途中で断念した。自転車で走るのも気持ちいいんだろうな。
車に乗って橋を渡り、古宇利島へ。お昼ご飯にタコライスを食べ、埠頭でしばらく海の青さに酔いしれた。

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そのあとはしばらく車を走らせ、万座毛で夕焼けを見た。

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この日は海辺のペンションを取っていた。夕飯は近くの小さな料理屋さんへ行き、てびち(豚足)にチャレンジした。せっかくなのでご当地食材を食べたいと思い、いけるかと思って頼んだが、正直苦手な味だったので全然食べられず。結局ほとんど弟が食べてくれた。その後しばらくこれをネタにグチグチと絡まれるようになる。これに関しては素直に反省しています。

3日目

この日は1日ツアーに申し込んでいた。
午前中はシュノーケリング。青の洞窟という、有名スポットに行けるはずだったが、波が高くて危険らしく、入ることができなかった。天気はよくても風の関係で厳しいらしい。少し残念だったが、浅瀬で魚を見るのも普通に楽しかったので全然問題なかった。

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ガイドさんから「手をこすり合わせると、餌くれるのかと思って魚が寄ってくるよ」と言われたので、まさかそんな犬みたいなことはないでしょう...と疑いつつやってみると、マジだったのがびっくり。親指と人差し指をこすり合わせていると、みるみるうちに魚たちが集まってきた。すごい学習能力だ...

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海から上がり、近くの岬をうろついた。大自然!!

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岩が窪んでいるところに波が押し寄せては砕けて行くのを、無心になって見つめていた。こういうの永遠に見られるところは気があうかも。

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午後はホエールウォッチング。クジラを見られなければ全額返金します!とのことだったので、もし見られなくてもお財布痛まないしいっか〜と思って申し込んだが、めちゃくちゃ近くでクジラを見ることができて、大興奮だった。(写真だと全然伝わらないな)

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クジラは、潮を吹き上げながらしばらく海面付近を泳いだあと、一気に深くまで潜ってしまう。(潜る直前は角度をつけるため、わかりやすく尾ひれが海上に出てくる)そうすると15分くらいは出てこなくなり、しかもどこに向かっているのかわからない。20名ほどの乗客で360度を分担し、自分の視界でクジラが姿を表したら「いた!!!」と絶叫して船長に伝え、その方向に船を走らせてもらう。計2時間くらい海上で揺られていたはずだが、一回だけ私が「いた!!!」と初めに叫べたことがあった。発見の快感を疑似体験できた気がする笑

あとは潮吹きだけではなく、1度だけジャンプするのをみることができた。参加者が船の2階に上がる途中だったので、全員が見られたわけではなく、本当にラッキーだった。興奮して写真を取るのも間に合わなかったが、これぞクジラ!!という光景だった。でっかいものは最高だなあ。

港に帰り、空港方面へ南下。思っていたよりも時間が余ったので、レンタカーを返してから国際通りをもう一度ぶらついてお土産を購入した。

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そういえば部活の同期用にハブ酒を買ったんだけど、その後すれ違いで会えないうちに活動自粛期間がスタートしてしまったので、実はまだ1本冷蔵庫にある。もう今夜飲んでしまおうかな、賞味期限大丈夫かな。

その後は早めに空港に行ってお土産を買ったり、夕飯を食べたりして時間を潰す。
夜の飛行機に乗り、24時頃羽田に到着。さすがに疲れで機内は爆睡だった。

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濃い3日間だった。帰宅して親に会った一言目が、お互いに「この人とはほんと気が合わない」だったことに親が爆笑していた。

私たちは似ていないけど、似ているんだろう。20年近く一緒に生きているんだから、もうこれは仕方ない。




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