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本を読むという行為はこれからその意味を大きく変えていく

◾︎150年の常識がリセットされつつある 岩波書店の時代が終わった◾︎

先日、読書好きの80歳のおじいさんの読書体験記が「FORBES」に掲載されました。おじいさんは少年の頃から紀行とか探偵ものの本が大好きでそういう本をずっと読んでたら、大学に進む辺りから「そんな低俗な読書を止めるように」と学校の先生から言われ始めた…というのです。学校の先生は低俗な読書と高尚な読書があるという口ぶりで、エラくなりたかったら岩波書店の本を読めと勧めてきたというのです。

岩波書店の本を読むとエラい。
岩波書店の本を読む人は高学歴。
これは戦前・戦後の本読みの常識でした。

これが学問や受験にも広がって、東大生や京大生になったら、大学生になったら岩波を読むのが当たり前になりました。大学の近くにはおおよそ古本屋がありますがどの古本屋にもぎっしりと岩波文庫が並びます。かくいうボク自身も、自分の家の本棚に岩波書店の本が並んでるのを見るとなんだかエラくなった気分になる…というのは正直なところです。

岩波書店の本。
それは読書の世界の権威でした。

話を簡潔にするためにズバっと書きますが、岩波書店の本はすべての神話を否定する本です。とても科学的な本ばかりです。人間の知性こそが最高と言わんばかりの知性万歳の本です。だからカント、ヘーゲルといった科学的な哲学が並び、ダーウインの進化論に追従する考え方の本が並びます。日本の天皇もダーウインの進化論が正しいとなったら成り立たない。岩波書店は日本の皇室が大嫌いです。他にも「人間の知性なんてあまり大したもんでないよ」という反知性みたいな論調がイギリス経験論のデイヴィッド・ヒュームらにあったりしますが思想界の大御所と呼ばれてるのにヒュームの本は岩波から一切出てないところにもやはり意図的な排除を感じます。アイルランドの森には妖精がいた…とかいう妖精研究の本も岩波書店からは出ません。そういうのは非科学的だからです。そういうのを読むのは低俗だと言わんばかりです。

アフリカの民族学・民俗学の本とかも岩波書店からは出ません。ボクの大好きな民族学者レヴィ・ストロースも岩波書店からは一切出ません。民族ごとの神話とか、生活様式とか、遊びとか、料理とか…etc 人間の生き方って色々あるのに。岩波はそういうのはオール無視です。そんなものは学問の無い低俗な連中のやることだ…というのが岩波書店の態度だと思います。

しかし。

ここにきて状況が大きく変わり始めました。文化や遊びや経験を切り捨てる岩波書店が…時代に取り残され始めたと思うのです。インターネット社会になって、料理のことを動画でシェアしたり、幽霊を探しに行ったりするYoutuberの動画が人気を博したり、バックパッカーが世界各地を旅して動画で撮ったりして拡散される。その交流は本当に文化人類学的になってきました。エキゾチック、レトロ、異文化交流といったことがインターネットによって世の中のメインになり始めたのです。推理、探偵、恋愛、冒険、紀行。こういったものが主役になり始めたのです。

宇宙開拓や道路を作ることがメインだった、科学がメインだった20世紀に、知性の権威として君臨した岩波書店。しかし、その牙城がインターネットと人々の交流という流れによって押し流されてるのではないか。こんなことを最近よく思うのです。大学の経済学が時代遅れということを先日書きましたが、あれとよく似てます。

本を読む

本を読むという行為は、これからその意味を大きく変えていくと思います。情報の伝達、情報のまとめや分析だった役目から、人生を楽しむ、過ごす時間をゼータクに使う手段として再定義されていくと思います。

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