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カント「純粋理性批判」反オカルトの名著が示す臨界点
カントの哲学がどのようなものだったかを次回の哲学ワークショップで解説させて頂こうと思ってます。
私がカントの「純粋理性批判」を購入したのはおよそ15年前。
読んですぐに。
あー、無理、無理。
何これ?
となってギブアップしました。
とてもまともに読めたものではありません。
日本を代表する霊学者に本山博さんという人がいますが、本山さんのインタビューを読んでたら
「カントの純粋理性批判がわかるのに一生かかった」
…とおっしゃってました。冗談じゃない、そんなことに一生かかってられるかと思いました。(笑)
しかし、哲学をあれこれと読んでるうちに、やっとフッサールの言ってることがわかり始めて、そうすると、カントの言おうとすることも何となく遠回しにですが理解が進み始めました。
そして、一つわかったのが、本山博みたいな霊の研究なんぞをやってる人がどうして熱心にカントを読むのか。それがまず感覚的にですが、わかったのです。
カントの立場から言えば占星術もダメだと思います。幽霊もダメだし、魔術もオカルトもダメ。それは認識できないものだということをカントは綿密な哲学でもって証明するような形を取ったのです。
しかし、カントは否定しながらも、含みを持たせています。
例えば、この世界はいつできたのか?という疑問。
ある地点から、宇宙が生まれて、この世が出来たとすると。
それ以前は何もなかった。
じゃあその宇宙がなかった期間はどのぐらいだったのか?と考えると「何もない」のだから、そこは時間もないし空間もないから、そこは考えが及ばない。つまり認識できない。
しかし、そう考えたら、いつ宇宙が生まれたかという問題も答えが出なくなるわけです。
わかりやすくバサッと書くと、カントは、「神様がいることにしないとこの問題は解けない」と考えました。
つまり。
科学的態度に徹底してこの世の中のことを考えたカントの行き着く先は、神様とかそういうものを認めないことには辻褄が合わなくなるという逆説的な世界観・認識にも辿り着くことになった…これは私の解釈ですが…そう思います。
科学がすべてを証明、解説できるか。しないといけないし、そうあるべきだと考えたカントの哲学は、錬金術や魔術といったものが幅を利かせた中世ヨーロッパに打たれた大きな楔でした。神様とかオカルト抜きにして科学的にこの世の中を捉えよう。
しかし。
そのカントが人間の認識で超えることのできない壁、限界点があることを証明してしまったのです。
仕方がない。
そこから先は神様とか魔術とかで考えるしか手段は無い。
だったら。
占星術とか神学とか魔術でカントが考えてもわからなかったところを捉えるしか無いよね…というわけでkoko書房には哲学も魔術も両方あるというわけなんです。
反オカルトの名著
「純粋理性批判」
いつもながら、私流の独断でこの名作について解説させて頂きます。9月25日です。
〜不真面目に学ぼう〜 koko書房
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