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かんしゃくはいけませんプロフェッサー

前回に続いて、夏目房之介ゼミに招いていただいたときのことを思い出しながら、思いつくままに語っていきます。

彼がまんが研究に本腰をあげたきっかけは、やはり平成元年2月に手塚治虫が亡くなったことでした。ものすごく衝撃を受けた、とあちこちで表明されていました。それ以前にもそれっぽいことはなさっていました。NHK教育(今は何ていうんでしたっけ?)の土曜夜の若者向け番組で星飛雄馬のあふれる涙を音無響子の目下に合成するとこんな風になるねとかの、よくわからない芸の類でしたが、彼はやがてこれを磨き上げていって、十年後(だったかな)には「マンガはなぜ面白いのか」とかいう題でNHK教育で数週間講義していました。これ、書籍化されています。後日、梅原猛が連載随筆のひとつで「漱石の孫がNHK教育で面白いことを語っている、のらくろには瞳がないがアトムには瞳があるのは後者に内面が芽生えていることの証だ等、とても刺激的だ」の意の賞賛をしていました。

彼のまんが論って、素朴なぶんわかりやすいのですよ。子どもの落書きが、やがて架空人物として自律しだして、まんがに発展していく的な素朴さ、わかりやすさ。大学生の頃よりこういうアイディアを温めていて、それを著名まんが作品をサンプルにしながら語っていく、そういうテレビ講座でした。

さらに十年近く後、当時の若手まんが研究者のなかから、こういう素朴なまんが発達論をアカデミックな体裁で論じる方が現れました。「キャラ/キャラクター」論といいます。じっくり説明すると長くなるので簡略に述べると、たとえば「ゴルゴ13」というまんががあって、ゴルゴ13というコードネームで活動する謎の暗殺者が主人公です。この主人公、現在では物語より自律してゴルゴという単体でネタにされパロディにされオマージュされています。ゴルゴ・シリーズのお話を何か挙げてみろといわれてぱっと言える人はそんなにいなくても、ゴルゴについて尋ねられたら誰でも「あああのひとね」と苦笑しながらあの三白眼を真似たりライフルを構える格好をしたりすると思います。物語の一パーツとして人物がある場合は「キャラクター」で、それがやがて人物が自律しだしたのを「キャラ」。ゴルゴは後者です。実はこの分類法、提唱者そのひとがあまり上手に行っていないため、ひとによって使い分けに違いがあるようです。それで前につまらない論争が起きてたりしました。

夏目さんはこの分類法を激賞されていました。ちなみにこれの提唱者は伊藤さんという方です。今は存じませんがおそらく今も彼はこの分類法を正しいものと考えていると思います。一方、私はというと、この分類法はカスだと考えています。どうしてカスと言い切ってしまうかというと、まんが(cartoon というべきかな)がどうやって現代のスタイルになっていったのかを歴史的に追えば追うほど、キャラクターがキャラになっていった史観が成り立たないことが、はっきりしていくからです。

その昔「猿の惑星」という映画がありました。猿人たちが文明をまわし、人間たちは動物扱いされている、おかしな惑星に、地球の男が迷い込むのです。この星では科学者が「ヒトが進化したのが猿だ」という進化論を提唱してサル社会を驚かせています。(ここはうろ覚え) 主人公はそれを知って呆れる。サルがヒトに進化したんじゃないのかよ、と。夏目や伊藤やそのお仲間の皆さんの考えるキャラクター史観は、私にいわせれば猿の惑星における進化論の同類です。そんなわけあるかよ、ってね。

それからヒトへの進化について、遺伝子の分析によって、かつての説が現在は大幅に否定されています。かつてヒトの祖先とされたなんたら原人やかんたらネスは、実は絶滅していて、私たちの血縁ではない等。かつて学校の教科書に載っていた、こういう図は誤りだと今は判明しています。⇩

現在は否定されているヒト進化説明図

遺伝子の比較研究が進み、現在はこんな風に整理されています。

私が夏目の院生ゼミに呼んでいただいて講演した後、生徒さん&彼との質疑応答で話がかみ合わず閉口しました。日本語でやり取りしたのですが、なんだか通訳さんが私の発言を間違って翻訳していて、そのせいで私の説明と食い違うことを質問される、そんな感じでした。

その後もずっと、あの噛み合わなさについて考えてきました。夏目スクールの戴く史観が、まさに猿の惑星の進化論と同じ代物であったことこそが原因だと、今は思います。

彼はおととし退官されました。最終講義は ZOOM で配信されました。やはりこの誤った史観を語られました。

今年になってある月刊誌に、彼はまんが研究について小論を寄稿されていました。刊行は昨年暮れだったのかな? 地元図書館で閲覧したのは今年になってからだったと思います。ずいぶん気弱なことを述べていました。十数年プロフェッサーを務めたが、とうとう自信を抱くことはなかった云々。

苦笑しました。初対面のときある行き違いでひとをすごい大声で怒鳴りつけておいてそれですか、みたいな。後日ご本人ブログのほうに、あれはあなたの思い違いで私に間違いはありませんでしたよとコメント投稿したのが懐かしい。質疑応答で、生徒さんがどなたも見当違いの質問をしかけてくるのに戸惑ったことについても、いずれじっくり論じていかないといけないなと、少々ため息も混じりながら考え中の今日この頃です。

[2023年3月31日付記:本論の続きはこちら。 ねえミッキー、頭の悪い院生を手なずけるにはどうしたらいいの?

つづく



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