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私の本に、おもろい書評が付いたので紹介します

5つ星のうち5.0

母語と語学教育は民族の様相を容赦なく映す鏡

2024年7月10日に日本でレビュー済み

表紙とタイトルでかなり損をしているが、内容は超がつくほど素晴らしい。
英語学習者のみならず、「日本語とは何か」を考えたい人に強く薦めたい。

アメリカ人でありながら日本の中学校に3年間通い「日本人生徒と並んで英語の授業も受けていた」さらに「教師として英語を日本で教えてもいた」というユニークな経歴の持ち主ならではの視点と、日本の近代史、アメリカの対日政策、英語成立の歴史などを複合的に絡めた内容。

日本の学校英語は、米国が押し付けた民主主義の理想を演じる壮大なファンタジーというのが著者の主張。だからこそ空疎であり、教室で演じられることが重要なので、実用性は二の次なのだという。

国語(国語教育)と日本語(日本語教育)の違いについて、口を酸っぱくして説明しているのも新鮮。
結局日本人が日本語を使って英語を学ぶ際、最大の障壁になっているのが国語だというのは、慧眼。
戦前の外地では国語ではなく日本語を教えていたが、敗戦でその道は絶たれた。

本書の中では触れられていないが、外地に渡った日本人移民の中には食い詰めた農民が大勢いた。当時はまだ標準語が普及しておらず、彼らはひどく訛りにある日本語を話した。
一方裕福な現地民の子弟は幼少から学校で綺麗な日本語を習った。彼らは標準語話者である。
方言しか話せない大和民族と、美しい標準語を話す外地人。より日本人らしいのはどちらか……などという視点も付け加えたらより面白かったかも。まぁ話が脱線して分かりづらくもなるが。

国語と日本語。両者は文法が異なる。
例えば国語の五段活用は日本語にはない。日本語では活用系の分類方法が別系統なのだ。

国語は江戸時代の国文学をベースに英文法を参照して作られたものだが、古典と現代文を一続きに扱える利点がある。だから今後もなくならないだろうと著者は言う。しかしだからこそ外国語を学ぶときに困る。
本書作中で指摘されている例は、「〜している」だ。

実は日本語の「〜している」は現在進行形ではなく、状態の切り替わりを表している。しかし学校の国語では教えてくれない。これが和文英訳で落とし穴になる。
この例に限らず、過去形や現在形など日本語における時制と英語の時制は捉え方が異なるのだが、教室ではこの点に触れてくれない。日本語教育の場では教えてくれるのだが、国語ではスルーされているのだ(そればかりか国語で教える活用形からは「〜している」は抜け落ちてさえいる)。

国語教育は現代文を正確に分析することを妨げてしまう。当然英語を勉強するときに、足を引っ張ることになる。

おそらく多くの読者は、こうした議論を初めて目にするはずだ。

私見では、結局外国語は直接外国語で教わるのが一番いいという結論になるが、そうすると翻訳能力が向上しない。読み書きと会話は出来るようになるが、翻訳は別枠。だから学習方法も別個で考えなければならないだろう。

原稿が長くなるのでここら辺で切り上げるが、本書は英語教育を考える上で舞台裏となるメタな部分まで教えてくれる良書である。

追記。その後もうひとつ書評が付きました。これもいい味だしてるので紹介す⇩


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