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ねえミッキー、頭の悪い院生を手なずけるにはどうしたらいいの?

大学院のゼミに呼んでいただいて、院生や留学生の子たちに、私の考えを語ったときのことです。いわゆるゲスト講師ですね。質疑応答で、どうしても私の説明に納得しない女の子がいて、いったいこの子は何を質問しているのだろうと戸惑いました。

私が語ったのは、いわゆるキャラクター商品についてです。何かまんががあって、それがアニメになって一気に国民人気を博し、それをうけて主人公をあしらった商品が、原作を出している出版社なりどこか広告代理店なりが主導して、いろいろな業者より発売されて一大市場を形作っていく…  今ではごくありふれた商売ですが、かつて日本では、こういうのは誰かが取り仕切ってやっていたわけではなくて、いろいろな業者がばらばらに、無断でやっていた、と、そういうお話をしました。

私が調べたところ、日本では昭和35年(1960年)の長編アニメ映画「西遊記」の子ども用ノートが、今でいうキャラクターライセンシング方式によるものの最初でした。

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そのいきさつについて、院生&留学生の皆さんには説明しました、順を追って。(長くなるのでここでは省略します) 質疑応答の時間ももうけて、あの子たちと、それから教授どのといろいろやり取りしました。

まるで噛み合わない! 


「まるで」という副詞は少々大げさかな。しかし今、あれを振り返ると「まるで」という副詞を使わずにはいられない気持ちになります。

とりわけ思い出すたびに気持ち悪くなる、いえ、はっきりいえば怒りすら湧いてくるのが、ある院生(余談ですがBL大好きさんでした)とのやり取りです。私は講義でこう述べました。

「現代の私たちは、何か人気番組や人気映画などのキャラクターを、ノートの表紙にするとか人形にして売るとかするとき、必ず承諾を得て行うものだとわきまえているが、ほんの50年前には、そういう考え方がそもそも日本には芽生えていなかった」 

しかし質疑応答のとき、くだんの院生さんはこう食い下がってきたのです。

「それ以前にはそういう承諾手続きが必要なかったのに、どうして昭和35年(1960年)からそういう手続きが日本で始まったのですか?」

??? いったい何を訊いているのか、私にはさっぱりわかりませんでした。

今にして思うと、どうやら彼女は、私の話をこんな風に理解してしまっていたのです。「昭和35年までは、日本においてはキャラクターの商品化において、許諾を取らなくていいと決まっていた。それがこの年から許諾が義務化されたのだとしたら、いったいそれはどうして?」

思うに、彼女(それにほかの学生&教授どの)は「昭和35年に何か業界内で規定の改正があったのですね、どうしていきなりそうなったのですか?」と私に訊きたかったのでしょう。

こうやって当時のことを書き記しながら、私は頭が痛くなってしまいます。「ああ、何も伝わっていなかったんだ」って。

しかし、もし今ここにタイムマシンがあって、質疑応答を一からやれるのなら、彼女にはこう説明すると思います。

アダムとイヴの話は知ってるよね。『旧約聖書』に出てくるあれ。

禁断の実を、この二人は食べた。そしてどうなったか?

恥ずかしさに芽生えるのです。自分の股間を、葉っぱで隠した。

昭和35年、日本のある文房具メーカーが、当時テレビで大人気だった「月光仮面」というヒーローものに目を付けて、ノートの表紙に月光仮面をあしらったものを売り出して、大繁盛しました。

それを知ったライバル・メーカーが「うちはミッキーマウスのノートを出そう」と考えて、イラスト描きの参考用にミッキー人形を買ってきました。するとその入れ物にですね「ⒸDisney」とあったのです。

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なんだろうこれは?と思って、そのメーカーさんがディズニー日本支社に問い合わせました。

「ああそれは Copyright の略ですよ。うちが承諾した、正規商品ですよって印です」

これにはびっくりしたそうです。月光仮面でも猿飛佐助でも、勝手に自社商品にあしらって売り出したら、それは非正規ということで、いけないことなのだと、この文房具メーカー・セイカは知ったのです。

ディズニー日本支社から、セイカは書類を渡されました。「これが承諾の契約書だから、これに署名してくだされば、ここにある規定どおりに商品化を許してあげるよ」 

持ち帰ったセイカの重役さんは、困ってしまいました。なぜなら英語で書いてあったからです。そこでひとにお願いして日本語訳を作ってもらいました。セイカはこのとき「ライセンス」という考え方を知ったのでした。

こうしてセイカ社は、自分たちがそれまでこんな大切なことを知らないでいたことにショックを受けたのです。「ああ俺たちはなんて野蛮人なんだろう!」って。

これってアダムとイヴが、禁断の実を食べたのと同じだった…とまでは言いませんが、それに通じる逸話だと思いませんか?

このショックをきっかけに、セイカ社は、この「ライセンス」という考え方をいろいろな取引先に伝授していきました。

喩えるならば「なんだお前ら、今でも素っ裸で暮らしているのか? そういうのは恥ずかしいんだよ、ちゃんと服を着ないといけないんだよ。ディズニーはそういうのちゃんとやってるんだよ」と諭していったようなものです。

現代の日本では、ドラえもんでもポケモンでも、何か商品にして売り出すときはそれぞれの窓口業務を行っているところ(ちなみにドラえもんの場合は小学館)より承諾を得て行うものだと皆がわかっていますが、そういうのは昔からそうだったのではなくて、1960年にセイカ社が、ディズニー社の商品ライセンス契約書という禁断の実を(自己流に)研究した――食べた――ことをきっかけに始まったものなのです。

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ちなみにセイカ社による研究は、今の目で見ると間違ったものでした。当時の日本人では、アメリカのキャラクターライセンシングの方法論も理論も、およそ理解はできっこないものです。それゆえ、彼らは思い違いしたのです。「こういうのは著作権法で定められたものなのだ」と。

日本は昔から「お上(かみ)の顔色をうかがう」ことで社会が回っています。だから「法でそうなっている」といわれれば、それで皆それ以上深くは考えないで納得するのが常です。「著作権法でそうなっている、ディズニー社は実際そうしている」と。

実はそうではないのですよ。キャラクターライセンシングは、特定の法に基づいているのではなく、いくつものアメリカ国内での裁判判例や、独自の法解釈が入り混じりながら、商慣習としてアメリカ国内で形になっていったものでした。

そのことをセイカ社も、セイカ社より伝え聞いた日本のいろいろな企業も映画会社も、当時誰もわからなかった。彼らが理解したのは「事前に契約書を交わさないとお上(かみ)に罰せられるものらしいぞ」という、緩いイメージでした。

禁断の実を、日本の文房具メーカーがかじって、自分たちがそれまでずっと野蛮なことをしていたと「目覚めた」のです。

勘違いによる「目覚め」です。

それが昭和35年(1960年)におきたことでした。

こんな風に、今の私なら、くだんの院生ガールに答えると思います。

続く

[付記]キャラクターライセンシングはアメリカ生まれです。どうしてあの国に生まれたのか、というかどうしてあの国でしか生まれようがなかったのか、そしてそれがどうしてグローバルスタンダード化していったのかという話は、このときの講義で私はしませんでした。なぜなら当時の私はそこまで研究が進んでいなかったから。今の自分ならそこまで押さえて語るかもしれないのですが、とても一回の講義(ちなみに二コマ+延長戦でした)では語りつくせないし、そもそもあの学生さんたちも、何より教授どのが目を回してしまうでしょうね。

[付記2]それまでは「保険をかけるため」だったのが「自分の権利を守るため」に切り替わった、という説明が一番簡明と考えて以下再論

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