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マックス・ボルンの1926年論文を探してみよう

波動関数の絶対値の二乗は電子の存在確率!と世界で最初に洞察した、ボルンの1926年論文を探しているところです。

ドイツ語原文で読みたいです。

Internet Archive で掲載誌を探してみたら、ちゃんとありました。

"Zeitschrift für Physik" 37号 (1926年) です。p863–867。

1926年6月25日受理


ただこの "Fur Quantenmechanik der Stoßvorgänge" は、よく読むと確率解釈に至る、その手前の段階のものです。

Wikipedia ではこれが確率解釈論文とありますが、間違いです。正しくはその予告編です)


続く論文 "Quantenmechanik der Stoßvorgänge" こそが初出です。"Zeitschrift für Physik" 38号 (1926年) の p803–827。
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1926年7月21日受理


英訳版も貼っておこうではありませんか。

https://www.informationphilosopher.com/solutions/scientists/born/QMCollisions2_1926.pdf


それから同年10月に "Das Adiabatenprinzip in der Quantenmechanik" を寄稿。



面白いことに、シュレディンガーがいわゆる第4論文を受理されたのが、ボルンの上記の論文(の最初のもの)の数日「前」なのですね。(1926年6月21日)

シュの快進撃が壁に当たってしまったのと入れ替わりに、ボルンが息を吹き返していくかのようです。


シュの第4論文。


ああそれから先日ど根性で解読したディラック論文が、1926年8月26日受理です。


6月 シュレディンガー第4論文、ボルン確率解釈予告編論文
7月 ボルン確率解釈論文
8月 ディラックど根性論文
10月 ボルン論文


天才たちがスパークする、そんな時期でした。


つづくよ ⇩


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