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龍一少年、中2病「ぼくはドビュッシーの生まれ変わり」を患う

今年3月末、がん闘病を完了させた音楽家の人格形成期を、音楽歴をとおして探っていくシリーズの続きです。本当は英語教育論ですがそれは後にまわしてこのまま思いつくままに綴っていきます。

小1よりピアノ稽古通い、小5より作曲の稽古通いでバスや路面電車で移動しまくり、小学校も越境入学なのでやはり交通機関での登下校という、根無し草的な音楽人生を予感させる幼年期を過ごしてきたという彼は、中学受験には巻き込まれることなく区立の中学校に進みました。バスケ部のかっこよさに色気づいたのか、音楽への関心がそこで途切れてバスケ部に入りました。ピアノのお師匠さんからは「指を痛めるおそれがあるからよしなさい」と言われたのですが彼の意志は固く、ピアノも作曲も稽古から離れてバスケに熱中の日々を送ったのでした中1前半。

「そのうち自分の中に何かが欠けている気がした。最初は何が欠けているのかわからなかったけれど、しばらくするうちにそれが音楽だということに気づいた」 ピアノの師匠、作曲の師匠それぞれの元に現れて、やらせてほしいと頭を下げた龍一(12)。こういうところ日本的ですね。「一度別れて、また同じ人と結婚したりする人がいますが、それに似ているかもしれない。自分で本当に何かをやりたいと思ったのは、人生で初めてのことだったと思います」

部活動は必須の中学校だったので、バスケ部を離れた後、吹奏楽部へ。ちょうどこの頃(1964年10月)東京オリンピックがあって、開会式の音楽がとてもかっこよくて、吹奏楽部のみなさん(たぶん男の子たち)はよく吹いていたそうです。黛敏郎のあれですね。

稽古再開。作曲のお稽古について、それまでは算数のドリルをやるように、作曲の課題を一夜漬けで仕上げて松本先生のところに持って行って添削されるというルーティーンの毎週だったのが、自分の意思でひとの曲の分析をするようになりました。その最初がベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番でした。


これ、私も知っている曲です。ハ短調なので譜面で分析しやすいのですよ。♪ラ~ド~ミ~レド、シ、ラ、ミラ、ミ、ラ♪  あはは王道のマイナー・トニック和音の分散的旋律。和音はこの旋律にオクターヴ・ユニゾンで完全連動。わかりやすいです。龍一少年(中1)は半年ぐらいレコードでこれをくりかえし聴いては譜面を分析していました。

この感覚わかる気がします。私自身がこうやって彼の「戦メリ」ピアノ譜の分析をしていたし分析難曲「ラストエンペラー」の分析を先日果たしたところだから。


中2になると、例によって叔父さんのレコード・コレクションからドビュッシーの弦楽四重奏曲が目に留まって、こっそり家に持ち帰ってステレオで聴いて、とてつもない衝撃を受けました。バッハやベートーベンとは異質な、ビートルズとも違う、いったいこれはなんだ!?

以下は出だし部分の譜面。どこに龍一くん(中2)の魂を揺さぶるものがあったのか、当ててみてください。

ここです!

赤でマークしたところでト短調より4度上であるハ短調に転じたかーと思わせて緑でマークした音で「違うよーん」となるのですよ。

これ続きの小節を見ていくと謎が解けるのですが謎解きは後日にまわすとして、ドビュッシーはこういう風に調性のフェイク技が得意で、それに龍一(中2)くんは「自我がとろけるような心地よさを感じた」のだそうです。

(そういえばガン闘病中に作った店内放送用の小曲に「気持ちいいのはなぜだろう。」と題されたものがありました。同じ技で作られています。この曲名がドビュッシーへのオマージュだと気づいたの、私ぐらいかな?)

これですっかりドビュにどびゅっとイってしまった龍一くん(中2)は、やがて自分をドビュッシーの生まれ変わりであると思うようになって、ついには筆記体で「くろーどどびゅっしー」とサインする練習に励んだそうです。

いい味だしてます。

"くろーどどびゅっしー"

つづく

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