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認知症キャラバン・メイトって何だ…

 もちろん知っている、私だって2016年夏の研修を受けてから、認知症キャラバン・メイトとして登録し、自分なりの活動は行っている。
この場合の活動とは、年に何度かの認知症サポーター養成講座ってものの開催ということだが。
 その他認知症に関わる活動については、認知症キャラバン・メイトだろうが何だろうが、続けていくつもりだし、認知症キャラバン・メイトを今直ぐ辞めてしまおう、と思っている訳ではない。ただ、なんだかモヤモヤしているのだ。

 7月に行われた市の研修会では新しいプログラムが伝えられ(個人的には決して新しい話ではなく、巷では既に色々聞き及びかつそのような情勢を十二分に反映して話されている人も多い、私も最新情報は常に意識しながらお伝えしている)、その新しいプログラムを踏まえた講座開催を言われ(それは大いに納得する)、且つ年に数回(文章には3回程度以上と記載されていた)開催してほしい、参加費は無料で、とのことだった。

 ふーむ、それぞれ組織の職員やスタッフとして活動している方々が多いということの表れなのだろうなと理解した。例えばケアプラザやデイサービス、特養や老健といった事業所、そして地域の町内会やら自治会やら…
 だけど、気になるのはそういうある組織の事業の一部としての開催とかある地域の集まりでの開催とか、もちろん公開講座として回覧板で告知されたりHPに掲載されるだろうけど少しだけ違和感なのだ。
これは私の勝手な違和感ではあるけれど。
 私自身は他のプログラム同様に公開講座としてお話したい!と思うこともあるのだが、無料!を前面にだされると正直マジかと思うのだ。だから今はご紹介レベルで地区センターやらコミュニティーハウスやら地元の企業さんやらから依頼された形でしか動けていない。今時ワンコインレベル、受益者負担として了解していただけないのだろうか。それともそんな一人で活動しなくても良いですよって、話なのか。
 YouTube内に色々載せられている当事者座談会や当事者の活動なども紹介しつつ、グループワークも入れつつ、私の自己開示もバリバリしつつ、自分事としての認知症を当初から伝えてきている私には、なんだか私の活動は不要といわれているようでさびしい。

 それとは別に最近驚いたことがある、X(旧Twitter)でのつぶやきに、子どもの通う小学校で認知症サポーター養成講座が開かれる、小学生向けに、ということに対して、その方は、ヤングケアラーを推奨するのか?と書かれていた。あ~認知症サポーターというものがまだまだ認知されていないことを痛感したのだ。
 認知症サポーターとは、「認知症に関する正しい理解をし、認知症に対する誤解と偏見を解消し、認知症の人や家族を応援する」人であって、その先にはそして安心して暮らせる町を皆でつくることを目指す人になってほしいという目標がある。もちろんこれは行政側としてはある意味共助を促すことではあるけれど、ケアラーになりましょう!ではなく、認知症になったからといって何もできなくなるわけじゃない、ということだけでも知ってほしいというのが今今の現実だと私は理解している。
 だからもし、小学校で開催するなら、その前に保護者向けに開催する必要があるだろうし、アナウンスをする時には注意してその目的もしっかりと伝わるようにしていかなければならないと思うのだ。「認知症」という言葉を聴くこと自体嫌だ、不安になる、不吉だ、なんてことを言われてしまう状況も一部あることは事実なのだから。
 ついつい、日常的にお話をして情報を得て共感できる人達と会話をしていると、その外側の「認知症」にアレルギー的反応をしてしまう人たちのことを忘れてしまいがちだ。私自身先ほどのツイッターじゃないけれど、まだこんなことも知らないの!と勝手に腹を立てたりするけれど、それはその情報に接することがなかっただけの話かもしれないのだ。できるだけ多くの人に、出来るだけ様々な年代や環境の人に、伝え続けていくこと、常に新しい情報を手に入れる努力をすること、それが今必要とされていて重要なことなのじゃないかな、今までの手法で良いのだろうか…
 アウトリーチという言葉の意味を、また考えだしている。認知症カフェ(仮)もそのひとつとして、ちょっと気になるけど講座的なものには参加しにくい、って人に立ち寄ってもらえる場にできたら良いのかな…色々考える。



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