裏の裏も裏かもしれない

ふと、考えたことがある。
言葉の重みを数値化できたら果たしてどうなるのだろう。
最低が0で最高が100といういたってシンプルな数値化方法。

こういうことを考えると、僕は純度100%の人間なんだなとつくづく思う。
人と比べたがり、人を知りたがる。
変わり映えしない、人間である。
さて、進もう。

「星が好き」と言うAさんは、オリオン座と北斗七星しか知らないらしい。
星たちを結べないAさんには、星が好きだと主張する権利はないのだろうか。
【言葉の重み→20/100】

「彼女が好き」と言うBさんは、「どこが?」と聞かれると上手く答えられないらしい。
どこが好きなのかをパッと答えられないBさんは本当に彼女のことが好きなのだろうか。
【言葉の重み→10/100】

「嘘が嫌い」と言うCさんに、「じゃあこれまで嘘をついたことはないってことだよね?」と問うと「いや、ついたことはある」と答えた。
嘘が嫌いなのに嘘をついたことがあるだなんて矛盾しているのではないだろうか。
そうなると、本当に嫌いなのかと疑ってしまう。
【言葉の重み→0/100】

3人の言葉を表面だけで判断すれば大方こういう数値になるのではないだろうか。
じゃあ、その言葉に「本当」が隠されているのだとしたらどうだろうか。

本当の意味とは何か。
本当に伝えたいものは何か。
その本当の裏に潜んでいる理由とは何なのか。

文字や文章だけでコミュニケーションが取れるこの令和4年。
本当に大切なのは、その言葉の陰に隠れている物事の本質を見つけてあげられるかどうか。

Aさんであれば
「星を見ると心が落ち着くから好き。」
「初めて読んだ本が『星の王子様』だから星が好き。」
「スターフルーツが好きだから星が好き。」
という、間接的な理由なのかもしれない。

Bさんであれば
「彼女には魅力が多すぎて、最初に言葉に出す魅力が選べなくて上手く言えない。」
「言ったらそこだけが好きみたいになる。全部が好きだから上手く言えない。」
「この上手く言えないという感覚こそが僕にとっての最上級の愛の証明だから上手く言えない。」
なんていう、激甘洋画字幕みたいな理由なのかもしれない。

Cさんであれば
「過去に根も葉もない噂話がきっかけで、周囲の人間に酷く落胆したことがある。だから私は嘘が嫌い。」
「嘘をついて大切な友達を傷付けた過去がある。それ以来私は、嘘をつく私が大嫌いになった。だから私は嘘が嫌い。」
「この世には嘘が多すぎて何が本当なのかわからない。私が本当に生きているという証明の為に嘘を嫌いになった。」
といった、「嘘」による辛い経験、もしくは反骨心的存在証明から生まれる理由なのかもしれない。

だから、表面だけで受け取るのは危険。
インターホンが鳴って誰が鳴らしたのか確認せずには出ないはず。
それと一緒。
その言葉と文章の表面だけ、携帯電話に表示された黒い線だけで当人の気持ちを確定させるのはあまりに勿体無い。

もしも、言葉の重みが数値化できるのだとしたら、その言葉の姿形を借りて隠れている「本当」を見つける為の判断材料にできる。
だとしたら是非とも数値化してほしい。


ただ、僕の言葉にだけは数値化の適用は外していただきたい。

その言葉の陰には、ヒントなんてなしで「本当」を見つけてほしいというただの我儘でしかない理由がひっそりと隠れている。

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