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Japan - Wallice

曲名に釣られて聴いた曲。
ロサンゼルスを拠点に活動する、Walliceの曲。

Apple Music で聴いてみたら、2曲目には「日本」というタイトルの曲があって、同じ曲を日本語で歌ったバージョンだった。それだけでちょっとうれしくなってしまう。

”エモい“の最果てにあるような印象。自宅のベッドルームでギターをつま弾きながら歌っている姿が目に浮かぶ。そこから先、ストリングスの音なんかが重なって、ドラマティックなインナーワールドに引き込まれる。感傷的で脆い空気感は、なぜかその向こう側に待つ彼女のたくましさや凛々しさを引き連れてくる。

偏見かもしれないけど、これは女の子にしかできない。男の子がやっちゃうと頼りなさが勝ってしまう。だから男の子は絶望を歌えない。絶望に酔った曲になる。それは、なんというか、かっこよくない。

チャットモンチーの「世界が終わる夜に」という曲が好きだ。なんの救いもない、ただただ絶望を歌った曲。希望を感じることはできないが、本人たちがそれをまっすぐただただ絶望として歌っていることに、そして本人たちの未来に対する希望が折り重なることで、湾曲せずにかっこよさが発生する。Wallice の「Japan」を聴いて、それがあらためてわかった気がする。

「Japan」と「日本」を聴き比べて、ちょっとおもしろいことに気づいた。英語で歌った場合のほうが、発音、発声の都合か、声が重く聞こえる。逆に言えば、日本語で歌った場合は少し軽く聴こえる。重いからいい、軽いから悪いという話ではなくて、伝わりかたがぜんぜん変わることがおもしろかった。

俺は日本語の歌詞を理解できるとは言っても「日本」の歌詞の意味すべてを何回か聴いただけで把握したわけではない。それなのに「日本」のほうがか弱く聴こえた。そして、か弱い方が、不思議とその先の未来に対する強さみたいなものを感じる。それはただの希望ではなくて、「生きてゆかねば」みたいな、少しの切なさを含んだ強さだった。

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